タンジュン・ピナンの中国人街(ビンタン島、インドネシア)

タンジュン・ピナンの下町を探検していたときのこと。ある一郭に入ると、街並の雰囲気が変わりました。違う時間に迷い込んだ感じです。一応、そこがどこかとご説明しますと、シンガポール行きフェリーターミナル前の大通りを東に折れて、しばらく歩き、賑やかな市場の交差点を左に曲がり、海に向かってずっと進んだあたりです。と言っても、タンジュン・ピナンを知らない人には、チンプンカンプンでしょうが。

このあたりまで来ると、陸は終わり掛け、海が入り込んで来ます。建て込んだ建物の間の狭い隙間から、ゴミだらけのぬかるみに立つ杭が、時々見えます。

ほとんどが木造2階建てで、1階を開け放して店としているのは、市場のコンクリート造の店と変わりませんが、軒の両端に取り付けられた、うだつのような袖壁が、街並みの印象を決定しています。外壁は、トタンの波板やアルミ板に葺き替えたものもありますが、古ぼけた家の多くは、横葺きの板に板張りの棧戸という組合せで、これもまた、一役買っていました。そして、店番をする人の顔。それまでは、インドネシア系が大半だったのに、中国系の店主が増えて来ます。

対岸のセンガラン同様、ここも中国系移民の居住地なのです。

移民が最初に到達したセンガランのような村とは違い、こちら側は、大都市の中心街に呑み込まれています。回りはコンクリート造に建て替わっているというのに、この一郭だけ、都市化の波にあらがうように、昔からの形式を維持しています。祖先の出身地と言われる中国南部の住居を、踏襲しているそうです。そして、ここには、海外のチャイナタウンで見掛ける、近代建築に中国様式の装飾が融合した、洗練されたタウンハウスへの発展もありません。

地盤の関係で建て替えしにくいという現実的理由もあるのでしょうが、それだけでしょうか。

インドネシアでは、近年まで、過酷な中国人排斥運動が何度も繰り返され、政治からも遠ざけられて来ました。例え、一部の華人財閥が経済的権力を手に入れたとしても、末端の中国人にとって、それはきっと遠い話。財力も乏しく、外からの圧力に対して脆い集団が、結束し、大都市の一郭にしがみつく拠り所として、アイデンティティーであるこの古い建築形式を生き残らせたようにも見えました。建築が、彼らを結び付け、守る砦になっていたのではないでしょうか。外からの圧力とは、排斥、そして、それと裏表のインドネシア社会からの同化圧力、さらに、近代化によるコミュニティー消失そのものかも知れません。

古い形式が残るということは、さまざまな意味で疎外された場合が、ほとんどです。そういう場所に少しずつ光が当たる時代となり、この中国人街が、タンジュン・ピナンの観光スポットになる日も近いのかも知れません。ただ、それは、複雑な背景を持つだろうタンジュン・ピナンの中国人コミュニティーが夢見ていた未来を引き寄せるのでしょうか。

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交通
タンジュン・ピナンの港から歩いて10分ほど。

宿泊施設のリスト
Comfort Hotel & Resort Tanjung Pinang
Hotel Furia(TEL 62-771-31125)

Pelangi Hotel

シンガポールからのフェリー船着場周辺に、エコノミーホテルが点々とあり、当日飛び込みで宿泊できます。
旅行の際に調べた情報であり、評価については、各人でご確認下さい。

参考文献 

Upload 2008.12

Update 2010.06

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         Photo by Daigo Ishii