「リー・クアンユーの国」シンガポールー2(シンガポール)

リーが政治活動を始めた1960年代、中心街の川は腐臭を放ち、芝生の公園では放し飼いの牛が闊歩していました。リーの妻の事務所の目の悪いスタッフが、通勤バスの車中に、ドブ川の悪臭が漂うと、もうすぐ中心街だと分かります、と語ったほど。

高い失業率の裏返しで、不衛生な屋台や白タクがあふれ、唾吐きやゴミのポイ捨ても日常的。公衆道徳が目に余る状況でした。まさに、ふつうの第三世界。

そんな国で、リーの実現した軌跡は、社会倫理の普及から始まり、教育振興、付加価値の高い産業の誘致、観光振興やブランド力向上となる都市づくりまで、あらゆるものに及びます。

個性のないシティーセンターの超高層ビル群は、リー首相の肝入りによる、規制を排した、しかし、厳格な金融政策で、世界有数の金融センターに上り詰めた象徴です。

街中の豊かな緑も、自生していた訳ではありません。世界中の熱帯地域から植物を集め、シンガポールの気候に合ったものを淘汰し、積極的に植え続けた成果です。シンガポールのブランド力を上げ、産業誘致や観光振興を図るために掲げた、「トロピカルガーデンシティー」というリーの構想が、数十年掛けて、大きな実を結びました。

1977年、リーが提案した当時には誰もが懐疑的だった、汚れた川の浄化。下水道を整備し、三千もの排水源の家内工場や停泊船を強制移転し、養豚場や農場を閉鎖するという荒行の結果、1987年には、魚が戻り、水泳もできるほどになりました。

汚れ切っていたシンガポール川は、今では、レストランの並ぶリバーフロントとして、観光客でにぎわい、トロピカルガーデンシティに一役買っています。川の浄化は、マレーシアに頼っていた水資源問題も解決しました。

不衛生な屋台を再開発した巨大なフードマーケット「ホーカー」も、スラムを整備し直した高層集合住宅も、世界を代表するハブとなったシンガポール空港も、外国からのお客様にシンガポールを印象づけるために植えた空港からの高速道路沿いの並木も、地下鉄のホームできちんと行列をつくる市民も、(罰則付きで実現したものですが)ゴミ一つ落ちていない街も、政治家に高い報酬を払うことで可能となった世界有数の清廉な政治システムも、どれもこれも、あれもそれも、何でもかんでも、リー自身のイニシアティブによるようです、ご本人の自己申告ですけど・・・。

そうやって、第三世界の街だったシンガポールは、先進国以上に、清潔で安全でコントロールされた街になりました。シンガポールの半世紀は、リーによる都市と国民の改造の歴史でもあった訳です。

今では、日本の人口の20分の一のシンガポールに、日本と大差ない年間700万人の観光客数が訪れ、年金基金の資産運用残高は、日本の10分の一(一人あたりでは2倍)、ということからも、リー首相の実績が伺えるというもの。

一人の優れた政治家を輩出することが、社会を、どれだけ変えるか、その顕著な例が、このシンガポールであり、シンガポールを旅行する醍醐味とは、物足りなさの奥に隠れた、その長い物語の痕跡を辿ることではないでしょうか。

そして、そのためのマストアイテムは、勿論、「リー・クアンユー回顧録」!!!。

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交通
シンガポール全域。

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旅行の際に調べた情報であり、評価については、各人でご確認下さい。

参考文献
リー・クアンユー回顧録(日本経済新聞社、2000)

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Update 2010.06

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         Photo by Daigo Ishii