反目は力なり ー 青森三都物語
(青森、日本)

あくまでも個人的意見ですが、日本の都道府県の中で、人口配置のバランスの取れた県は、青森県かな、と思っています。

青森弘前八戸という、ほぼ同じ30万人の都市圏人口を持つ3都市が、一つの県内に点在しています。3都市を合わせれば、政令都市も生まれる規模ですが、青森県では一極集中に向かわず、3つがバランスよく拮抗しています。そして、政治経済都市である青森、文教都市である弘前、産業都市である八戸と、性格も棲み分けた上に、どこも、規模を考えると、中心市街地がなかなか頑張っています。

2つの同規模の都市圏が拮抗している県として浮かぶのは、群馬や長野、静岡、岡山、鳥取、福岡あたり。3つとなると、福島ぐらいでしょうか。ただし、福島の3都市は都市化が進み、差が乏しい印象があります。

考えるほど、青森は際立ちますが、それは、どうしてなのか。明確な証拠はないものの、仲違いが、大きな理由ではないか、とにらんでいます。津軽地方と南部地方の反目です。

中世以来、津軽地方も南部地方も、南部藩の支配していた地域でした。16世紀末、南部藩の家臣だった大浦為信が、南部藩の内紛に乗じて、津軽地方を支配し、中央との関係づくりに成功した結果、津軽藩が誕生します。そういう経緯ゆえ、江戸時代になっても、隣り合う2つの藩の関係は好転せず、積極的な交流も生まれませんでした。

「図説青森県の歴史」(成田稔・長谷川成一監修)によれば、1871年に、廃藩置県で南部藩と津軽藩が一つの県になってから、すでに1世紀半近く経つのに、藩政時代の関所を挟み、歩いて10分、1キロも離れていない両藩の集落、津軽側の平内町「狩場沢」と、南部側の野辺地町「馬門」の集落では、今でも、方言がまったく違うそうです。道路や鉄道でふつうに往来する時代になっても、言葉の壁が崩れないぐらい、藩政時代の2藩の断絶は、苛烈だったのです。

つまり、16世紀に遡る歴史的な反目が、明治に入り、県が一つになっても、南部地方が津軽地方に吸収されることも、その逆も拒み、それぞれの藩を代表する城下町、弘前と八戸の自立を支えたのではないか、ということ。

そして、町の性格も、一朝一夕にはなりません。

八戸は、南部藩主南部利直が開いたと伝えられる城下町で、海に接し、港を有していたことで、明治時代、近代的産業を受け入れ、現在の工業都市につながって行きます。

一方、津軽藩を代表する城下町、弘前は、名を改めた津軽藩藩主、津軽為信が、慶長八年(1603年)に町立てを行ったのが始まりとされ、津軽藩成立の経緯を糊塗し、正統性を確保するために、他藩以上に文化に力を入れ、それが、今に残る東北有数の文化財となりました。始まりには浅ましいところがあったとしても、南部藩に対する対抗意識が、文化を熟成させ、文教都市として続く下地をつくりました。

そして、弘前の外港として整備されたのが青森。初めは日本海航路の積み出し港として、後に、蝦夷への渡航地として栄えました。明治時代、県庁所在地になったのは、弘前と八戸の争いの結果、漁夫の利を得たとも、交通の利便性からとも言われますが、その後、2つの町とは性格の違う政治経済都市として発展します。

青森に県庁が設置されて、弘前や八戸が衰退しても不思議ないのに、生き残った背景もまた、歴史的に積み上げた都市の性格が、簡単にぐらつかず、青森と差別化できたこと、そして、津軽と南部の反目で長い時間を掛けて形成された、敵方に呑み込まれまいとする自立の気風が、市民に深く横たわっていたからではないでしょうか。

和気藹々とした関係よりも、すぐ近くに目障りなライバルのいる方が、地域が活性化することを示す見事な例かもしれません。

八戸の人に、「今でも、津軽と南部の間には、壁とか対抗意識みたいものがあるのですか」と尋ねると、「今は対抗意識なくなりましたけど、それでも、やっぱり、公共施設でも何でも、津軽にばかりつくられるんですよね。」との答えが返りました。めちゃくちゃ対抗意識あるじゃないですか!

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参考文献
"図説青森県の歴史" (成田稔・長谷川成一, 河出書房新社, 1991)
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)

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