弘前 聖と俗:弘前の町と弘前城 -1弘前、青森、日本)

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弘前で好きな風景の一つが、重要文化財の最勝院五重塔を、東北有数の大歓楽街、鍛冶町から見るカットです。突き出し看板や電線の乱雑な景観のアイストップに、優雅で端正な塔のシルエットが浮かびます。

弘前は、健全なガイドブックでは、文教都市であり、近世の寺社仏閣に加えて、擬洋風の近代建築から現代建築まで、文化財に恵まれた、東北を代表する文化的観光地として描かれますが、一方で、たくさんの飲み屋が集積し、ネットを見ると、結構怪しい場所もあるから、清く正しいだけでもない、一筋縄では行かない町のようです。

弘前に陰影をつくり出している、そういう聖なる部分と俗なる部分の振幅が、鍛冶町から見る最勝院五重塔の風景に重なります。

弘前の町の始まりは江戸時代初め。

元亀2年(1571年)から天正16年(1588年)に掛けて、南部藩の臣下だった大浦為信が、藩の内紛に乗じて、手薄になっていた津軽地方を手中に納めました。その後、天正17年(1589年)、時の権力者、豊臣秀吉より、お墨付きを得て、この地の支配を確立しました。

大浦から津軽姓に名を改めた為信が、高台で、岩木川と土淵川に囲まれた要害の地、高岡に築城を開始したのが、慶長8年(1603年)のこと。初期の完成を見たのは慶長16年(1611年)。2代目藩主信枚の代に移り、寛永5年(1628年)、信枚の信頼する怪僧、天海が、天台密教から名を取り、弘前と改めました。

地形、城のつくり、そして、武家屋敷の配置によって、物理的に城を守る都市構造を築いた上で、城下町のエッジに、寺社仏閣を、風水に基づいて綿密に配置し、聖なる力による守りも万全にしました。

鬼門にあたる北東の方角には八幡宮と神明宮、東には寺町と徳川家康を祀る東照宮を置き、南には四神相応を意識した南溜池(現在は弘前大学医学部グラウンド)を、一万人動員して、わざわざ掘削しました。裏鬼門の南西には、長勝寺を初めとする曹洞宗の33カ寺を津軽一円から集めた寺町(禅林街)をつくり、津軽の霊山で信仰の要、岩木山に向いた西の方向には、為信の廟所である革秀寺、四代藩主信政を祀る高照神社、そして、岩木山をご神体とする岩木山神社が、ほぼ線状に並んでいます。

そして、実際の防衛機能も併せ持つ南溜池同様、禅林街も、山を切り崩して、空堀と土塁をつくり、入口には枡形を設け、非常時の防衛拠点「構(かまえ)」として計画されました。風水上の施設配置は、「聖なる」意味だけでなく、現実的な機能も併せ持っていたのです。

そうやって、生まれた寺社仏閣は、当時の東北における建築デザインの好例として、今、多くが国の文化財指定を受けています。ただし、それは、篤い宗教心からという単純なものでもなかったようです。津軽藩の出自にある後ろ暗い部分を隠し、正統性を確保するために、文化や宗教を積極的に利用した側面も否めません。津軽藩に限らず、文化はおしなべて、そういう「俗なる」意志の発露でもあるのです。

東照宮の建立は、最初にできた日光に継ぐもので、江戸よりも早いものでした。外向きには、外様大名としての津軽藩が江戸に向けた忠誠の証にも見える一方、内向き、そして、近隣の藩に対しては、徳川の威光を傘に着た津軽藩の、これも正統性確保として利用したように見えます。

そして、何もなかった地に、短期間でこれだけの格の城下町をつくり上げたこと自体が、津軽藩の正統性のいちばんの演出です。

弘前という町は、成立の時から、聖なるものと俗なるものが、重なり合う町のようです。

それにしても、弘前は広い。

寺社仏閣が、城下町を守るために、町の境界に置かれているから、それを訪ねることは、弘前の外縁を回ることになり、いっそう広さを実感します。そして、城もまたでかい。敵対する南部藩本家の本拠地、盛岡城の約30万平方メートルに対して、48万平方メートル。

疲労困憊のせいかもしれませんが、徒歩で回る距離を超える町の広さも、城の大きさも、津軽藩の力を大きく見せようとする俗なる意志に思えて来ました。そして、現在の弘前を歩いて感じるのは、細い道を走り抜ける車のスピードの怖さ。他の町と比べても相当なもの。弘前という町の大きさを速さで克服することも、現代流の、俗なる解釈なのかもしれません。

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交通
弘前駅から駒越、弥生、枯木平方面行きバスで20分(日中は頻発)、市役所前公園入口で下車。または、土手町循環バスで20分(日中は10分毎)、市役所前下車。

リンク
弘前市役所

弘前観光コンベンション協会
弘前総合情報RIng-O Web

青森県観光情報サイト
あおもりの文化財
文化遺産オンライン

宿泊施設のリスト
弘前市旅館ホテル組合

参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"図説青森県の歴史" (成田稔・長谷川成一, 河出書房新社, 1991)
"角川日本地名大辞典" (角川日本地名大辞典編纂委員会, 角川書店, 1985)
"日本歴史地名大系 青森県の地名" (虎尾俊哉他, 平凡社, 1982)
"江戸時代ひとづくり風土記2青森" (農山村漁村文化協会, 1992)
"郷土資料事典 青森県" (人文社, 1998)
”弘前城築城400年”(長谷川成一, 清文堂, 2011)
"トランヴェール2009年3月号-美しき弘前を旅する" (山本明, JR東日本, 2009)
"トランヴェール2011年4月号ー城,町,人の歴史絵巻をめぐる" (JR東日本, ,2011)
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