弘前 聖と俗:桜の弘前
(弘前、青森、日本)

弘前の桜は格別です。数ある桜の名所の中で、もっとも人を集めるだけの理由があるのです。

一つ目は,ランドスケーブの豊かさ。公園を縁取るお堀端から、天守閣のある見晴らしの良い本丸まで、17メートルの標高差を上り下りするだけで、見上げる桜から見下ろす桜まで、そして、桜のカーテン越しに街並が見え隠れする近景から、桜の向こうに岩木山を雄大に望む遠景まで、次々と眺望が切り替わって行きます。

その地形のランドスケーブに重なるのが、水のランドスケーブ。花影を増幅し、花びらを浮かべる水と桜の相性は花見の名所に欠かせませんが、弘前公園では、何重にも巡る掘割が消えては現れ、場面を彩ります。

ランドスケーブの見所の一つが、西濠の桜。夕暮れ近く、朱塗りの春陽橋から土手を南に向かうと、緩やかに曲折する桜のトンネルは、宵に溶け、どこまでも続くようです。右手の堀の広い水面には、対岸の桜並木が映り込み、左手は、細い水路を挟んで、さらに一段高い土手が構え、そこにも、桜並木が伸びて行きます。近い桜、遠い桜、見上げる桜がつくる桜の広い流れに身を任すようです。

二つ目の理由は、文化財の近さ。公園自体が、江戸時代の城の遺構として、史蹟に指定され、さらにいくつもの重要文化財が現存しています。それを愛でながら、足元で宴を楽しみ、酒食に飽いたら、ひょいと文化財の天守閣に上るのもよし。勿論、階段は急勾配だから、酔いの回った人にはご遠慮いただくことになります。

園路の元となっているのは、城の時代、外敵の侵入に備えて複雑に計画された動線で、それもまた、さまざまな視線の動きを誘い出し、変化に富んだ桜のシークエンスを構築します。

ランドスケーブと文化財が、弘前の桜を鉄壁にしているのです。

現在、約50種、2600本の桜を誇る弘前城に桜が初めて植えられたのは、正徳5年(1715年)のこと。京都から持ち込んだ25本の苗でした。明治維新で荒廃した城内に、旧藩士が20本の桜を植えた明治13年(1880年)が、本格的な始まりの年ですが、城内での花見を批判した旧士族に抜かれ、残ったのはわずかだったようです。明治34年(1901年)から2年を掛けて、あらためて1000本が植えられる頃には、市民の反応も変わり、大正7年(1918年)、今の桜まつりの原型「観桜会」の第1回が開かれるに至りました。

ちょっと驚くのは、第2次世界大戦中、当局の中止要請にもかかわらず、昭和18年(1943年)まで、「桜愛護の会」と名を変えて、祭りが開かれたことです。歌舞遊興を敵対視した風潮の中で続けたことから窺えるように、弘前市民の桜に対する思い入れは、そこいらの桜の名所とは一味も二味も違う筋金入りなのです。そして、戦争が終了した昭和22年(1947年)、「観桜会」が再開し、昭和36年(1961年)、「弘前さくらまつり」へ改称されました。

そんな弘前の桜を訪れての贅沢な悩みは、どこを切っても、絵になりすぎること。そして、誰もが納得するベストショットが、城を背景とした桜です。旧武徳殿を利用した休憩所には、桜まつりの1世紀近いポスターが展示されていますが、趣向を変えて棟方志功に依頼した期間を除くと、どれも似たような城と桜の写真なのもそれ故。

というより、他の名所では、意外と具体的な絵が結び付かないのですが、この弘前だけは、城を背景とした桜の風景が決まりすぎていたため、今では、誰もが思い浮かべる強いアイコンに育ちました。それもまた、日本一の桜の名所たる所以。

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交通
弘前駅から駒越、弥生、枯木平方面行きバスで20分(日中は頻発)、市役所前公園入口で下車。または、土手町循環バスで20分(日中は10分毎)、市役所前下車。

リンク
弘前市役所

弘前観光コンベンション協会
弘前総合情報RIng-O Web

青森県観光情報サイト
あおもりの文化財
文化遺産オンライン

宿泊施設のリスト
弘前市旅館ホテル組合

参考文献
”弘前公園 愛されて100年”(陸奥新報社, 1995年)
”弘前さくらものがたり”(財団法人弘前観光協会)
”弘前城築城400年”(長谷川成一, 清文堂, 2011)

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弘前公園の桜

        Photo by Daigo Ishii