弘前 聖と俗:弘前の町と弘前城 - 2(弘前、青森、日本)
弘前の中心街から、だらだらとした坂を上り切ると、その先が、今は弘前公園となった弘前城の入口です。
外堀を渡り、城内に入ると、路はさらに上り調子になります。堀の石垣にそそり立つ天守閣を見上げるのが、弘前城のハイライトとなる下乗橋。そこを越えると、城の中心、本丸となります。坂を上り詰め、城内でいちばんの高台に、ようやく到着しました。中心街から歩くと、天然の要害として、この地が選ばれたことを、身体が実感します。
高台の西は急崖となり、その天然の要害としての弘前城の地形を、今も目の当たりにします。眼下の西濠は、元々は岩木川の流れであり、守りを固め、物資を日本海へ運搬する舟運でも、弘前城に貢献しました。そして、視線を上げると、津軽の信仰の要、岩木山が、正面に堂々と立ち上がります。東を振り返ると高台の縁に立つのが、先ほど、下乗橋から見上げた天守閣。
現在の3層の天守閣は、文化7年(1810年)に再建されたもので、寛永4年(1627年)に落雷で焼失するまで、5層の天守閣が建っていました。
ふつうなら外様大名には許されない5層の天守閣は、幕府が、津軽藩を、蝦夷に対する防衛ラインと位置づけたことと関係があるそうです。一説には、津軽為信が、蝦夷の脅威を、幕府に対して煽り立て、5層の天守閣の実現を引き出したとも言われます。
江戸時代、焼失した天守閣を再建した例が少ない中、(表面上は櫓の再建と銘打ったものの)弘前城が例外となった背景もまた、その頃活発となった、南下するロシアの存在です。北からの脅威が、二度も、弘前に特別な扱いをもたらしたのでした。
他の藩とは違い、城の表門が北を向いている特殊な配置も、北の脅威を意識したものではないか、と言われています。
城の中でも、天守閣は、領民に対する支配の顕示であり、他藩や脅威に対する力の誇示となり、すなわち、これもまた正統性の象徴。多くの城で、天守閣が、外観の美しさ、壮麗さとは裏腹に、内部ががらんどうで、空間的に見るべきものがないのもそれ故で、弘前城も例外ではありません。領民や相手方が内部を見る訳もないから、ある意味、外見が効果を発揮すればいい、こけおどしそのものなのです。
最初の天守閣については、分かりませんが、現在の3層の天守閣は、その効果に関する割り切り方が、いっそう徹底しています。
城下に、そして、敵対する南部藩の方角を向いた南と東側の立面は、瓦屋根の中央に千鳥破風を3段重ね、矢狭間を設けた壁を出入りさせて、見栄えを上げます。さらに、堀で切り下げた水面から高い石垣を迫り上げ、その上に天守閣を載せるので、視覚効果が上がります。高さと意匠が、城主の力を、迫力を持って民衆に知らしめます。
一方、本丸のある高台から見る北と西側の立面は、地面からすぐに3層が立ち上がるため、随分ずんぐりと見えます。屋根は単純な平入りで、壁の出入りもなく、窓も、採光のためのふつうの格子窓となります。だから、下乗橋から南側を見上げて、坂を上って、高台側に回ると、同じ城とは思えないほど、簡素になった印象です。内部の者からしか見えない本丸側は、実用一辺倒で出来上がっているのです。
再建された時期、津軽藩の家格が上昇した一方で、財政上の負担も増え、決して、余裕があった訳ではないそうです。映画のセットのような二面性のある裏表も、そういう財政上の現実を反映したのでしょうか。
今もなお、弘前を紹介する写真のほとんどが、城を、南東側から撮影するのを見ても、的を絞ったというか、知恵を絞った視覚効果の、当時の有効性が想像できます。
正統性の表現としての、城の意味に加え、限られた資金の中で、いかに最大限の支配の効果を実現しようかとした、そのつくり方にもまた、俗なる意志が垣間見えます。
そして、黒い外観を好んだ豊臣方に対して、白い壁の色は、徳川方の好みであり、徳川幕府に対する忠誠の表現でもありました。
聖なる寺社仏閣への軸が交差する中心に位置する弘前城は、同じような意図を持つ多くの城以上に、俗なる意志の濃い建築なのです。そして、単なるきれいな町には納まらない、聖と俗の振幅の間にある弘前の町にふさわしい要の地位を、今も失なっていません。
交通
弘前駅から駒越、弥生、枯木平方面行きバスで20分(日中は頻発)、市役所前公園入口で下車。または、土手町循環バスで20分(日中は10分毎)、市役所前下車。
リンク
弘前市役所
弘前観光コンベンション協会
弘前総合情報RIng-O Web
宿泊施設のリスト
弘前市旅館ホテル組合
参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"図説青森県の歴史" (成田稔・長谷川成一, 河出書房新社, 1991)
"角川日本地名大辞典" (角川日本地名大辞典編纂委員会, 角川書店, 1985)
"日本歴史地名大系 青森県の地名" (虎尾俊哉他, 平凡社, 1982)
"江戸時代ひとづくり風土記2青森" (農山村漁村文化協会, 1992)
"郷土資料事典 青森県" (人文社, 1998)
”弘前城築城400年”(長谷川成一, 清文堂, 2011)
"トランヴェール2009年3月号-美しき弘前を旅する" (山本明, JR東日本, 2009)
"トランヴェール2011年4月号ー城,町,人の歴史絵巻をめぐる" (JR東日本, ,2011)
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