先住民を訪ねて - 3:
タオス・プエブロ
(タオス、ニューメキシコ、アメリカ合衆国)
山々は、緑に覆われ、白い雪を交えながら、青々とした姿で、盆地を囲んでいます。鬱陶しいほどには、近くなく、かと言って、遠すぎもせず、心地よい距離を保ち、タオス・プエブロの村を見守っています。
山は豊かな水をもたらし、タオス・プエブロの祖先が生まれたのも、その山中の湖Blue Lake。そこから発した小川Red Willow Creekが、水をほとばしらせながら、村を抜け、回りに広がる農地を潤しています。
ホピの国を見てから、このタオス・プエブロを訪れると、流れる空気の違いに驚きます。ほんとうに穏やかな気配に満ちた場所です。
しかし、先住民にとって、桃源郷のようなランドスケープが、必ずしもそこで生きることの安らかさの保証とはなりませんでした。
かつて、タオス・プエブロは、3m以上ある塀に囲まれていたそうです。他の部族だけでなく、1680年、スペインの統治に対して先住民が蜂起した「プエブロの反乱」では植民地政府と、1847年の包囲攻撃ではアメリカ軍と対峙した場所なのです。
アメリカ軍の攻撃では、その塀が突入を遅らせたものの、結局は、多数の死者を出し、首謀者の立てこもっていた教会を壊して終わりました(プエブロの反乱で教会を否定し、壊した彼らが、再建された教会に立てこもったのも、先住民の翻弄された歴史を見るようです)。
今、塀は、低くなり、周囲のランドスケープの穏やかさを映し出した、そして、元々彼らが思い描いていただろう村の姿が現れています。
小川を挟んで南北に分かれた村には、祭事の舞台となる大きな広場を囲んで、背後の山のメタファーでもある、最高で4階建ての集合住居が、並んでいます。壁を挟んで、いくつもの家族が、同じ棟に住む形式は、タオス・プエブロというコミュニティーで営まれて来た住民のつながりを象徴します。11世紀に遡るそうですが、現代建築としても通りませんか?。
白く仕上げた室内とは対照的に、外は、教会を除き、積み上げたアドベを、赤みを帯びた土で仕上げています。毎年、住民が手入れする賜物なのか、窯に入る前の陶器の地肌のように美しく、かすかに鈍く光っています。
今でこそ、ドアから出入りしますが、元々、低層部は、屋根に開けた穴が、唯一の室内への入口だったとのこと。親自然な印象とは裏腹に、塀で対抗し、さらに塀を破った敵には、住居で対抗するという防御に徹底した集落のつくりでもあったのです。
20世紀初めまでは、屋根から入る生活が続いていたと言うから、この場所に住み続けることから、彼らの不安が消えたのは、つい最近のことなのです。
皮肉にも、敵対したアメリカの体制に組み込まれ、外敵の脅威の去ったタオス・プエブロには、穏やかさが訪れています。そして、世界遺産登録で、観光は潤い、他の先住民の村に比べれば、衰退も遠ざかりました。
それでも、電気や水道がなく、水を川から汲み、そして、カトリック教会がある一方で、観光客の立入禁止エリアに残る儀式の場Kivasで、宗教行為を引き継ぐ彼らの生活自体が、いっそう巧妙になった西洋文明の浸透に対する、新しい時代の、静かな塀となっているようです。
交通
サンタフェから車で約1時間40分。
アルバカーキから車で約2時間40分。
アルバカーキから、バスTwin Hearts Express & Transportationにより、約3時間。
リンク
Taos Pueblo
宿泊施設のリスト
El Monte Sagrado, Autograph Collection
El Pueblo Lodge
Indian Hills Inn
Hotel la Fonda de Taos
Adobe and Pines Inn
Inn on La Loma Plaza
Orinda Bed and Breakfast
San Geronimo Lodge
Taos Country Inn Bed and Breakfast
旅行の際に調べた情報であり、評価については、各人でご確認下さい。
参考文献
"Welcom to Taos Pueblo 'The Place of the Red Willows" (Taos Pueblo Tourism)
Wikipedia
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