弘前 和と洋の融合
玄覧居(現 翠明荘) - 1
(弘前、青森、日本)

和館と洋館を組み合わせた邸宅は、明治時代から戦前まで、日本中で数多くつくられ、裕福な実業家や名家のステイタスとなりました。戦災を免れた弘前の町を歩くと、そういう家々が、今も現役でたくさん残ります。

建築的な見所の多い弘前ゆえ、観光マップでも、さらりとしか紹介されていませんが、今は、弘前で一二を争う料亭「翠明荘」となった、旧高谷家別邸「玄覧居」も、和と洋の結びついた住宅ですが、かなり異色です。

通りからは、塀越しに建物がちらりと見える程度ですから、気がつかずに通り過ぎる観光客も多いのではないでしょうか。かくいう僕も、ささやかな観光案内の情報に、気に止めていませんでしたが、通り掛かりに見上げると、部分的な断片だけでも、この建築はなんだろう、と引き付けるものがありました。褐色のテラコッタで覆われた、フランク・ロイド・ライト風のディテールが垣間見えたからです。

ためしに、門をくぐると、前庭を挟んで、正面には、明らかに普請道楽でつくったような和館が、右手には、まさしくライト風の洋館が立っていました。都会はともかく、地方のこの手の洋館と言えば、西欧の歴史主義のリバイバルが主流なので、かなり異色です。昼でさえ、安い会食料金ではありませんが、中をできるだけ自由に見学させてもらうために、その場でいちばん高いランチのコースを速断しました。

翠明荘は、今の青森銀行の前身、津軽銀行の2代目頭取だった高谷英城の別邸です。元々、明治中頃に完成した建築があったようですが、それを昭和8年から12年に掛けて、大きく広げ、今も残る形となりました。昭和8年という時代は、冷害による飢饉で東北の経済が疲弊していた時期で、高谷は、それに対する経済対策として、当時のお金で51万円(現在のお金に直すと51億円)という巨費を投じて、この建築をつくりました。いわゆる「お助け普請」で、東北では、江戸時代、酒田の商人、本間直丘が、同じように、飢饉対策として、防砂林や自邸を建設した逸話を思い出します。

家族の住居だった和館に、ゲストハウスの洋館。ただし、実際に住んだのは12、3年ほどで、それさえも、別邸だから、どれだけ使ったかは定かではありません。

戦後は、旅館として利用されていた時期もありますが、バブル期に、清水建設が、更地にしてマンション建設を計画していたところ、地元の自動車関連企業、マルエツ自工が買い上げて、料亭に変え、解体の難を免れました。心意気あるなあ、マルエツ自工。

表からは、想像できませんが、広大な枯山水の中庭が敷地の中央にあり、それを囲むように、コの字に和館が配置され、東端に洋館が取り付いています。和館、洋館とも、弘前の近代建築で繰り返し名前を目にする大工、堀江佐吉の9男堀江弥助の手になるもので、和館は、銅板葺き入母屋造りの、棟の高い書院風の建物が折り重なって、奥に続きます。

外観からも、金の掛け方が並でないことは明らかですが、室内もそれを裏切りません。

総檜の柱梁を皮切りに、廊下には3間1枚のケヤキ板、縁側には7間半の継ぎ目のない檜の一枚板、床の間の床板には13尺の紫檀、天井は金箔をちりばめた桐板の格天井、取次の間の天井は屋久杉の一枚板、建具は漆に菜種を混ぜたなな子塗り、そして、窓ガラスはドイツから輸入したガラスなど、銘木や高級材の切りがありません。

極め付けは、富山の名工、横山白汀による建具や欄間の浮彫。度がすぎるぐらいの細工の精巧さも見事ですが、どれもが、欄間の表裏が風景の表裏となっており、さらに趣向を凝らしています。とにかく、細部へのこだわりが尋常ではありません。

小さな空間に、これだけの造作が凝集すると、息苦しく感じるものですが、書院造で、一つ一つの空間が広い上に、寸法も、ふつうの日本建築より大きめにつくられ、さらに、広い庭に開いているために、鬱陶しさも、これみよがしな感じも、希釈されています。それもまた、堀江弥助の腕なのでしょう。

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交通
弘前駅から桜ヶ丘、久渡寺、西目屋、相馬、岩木方面行きバス、または、土手町循環バスで20分、下土手町下車(日中は頻発)、徒歩5分。

リンク
翠明荘

弘前市役所

弘前観光コンベンション協会
弘前総合情報RIng-O Web

青森県観光情報サイト
あおもりの文化財
文化遺産オンライン

宿泊施設のリスト
弘前市旅館ホテル組合

参考文献

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玄覧居(現 翠明荘) 和館 (1937)

        Photo by Daigo Ishii