青森のお祭り:立佞武多 - 2
(五所川原、青森、日本)

青森や弘前に比べて、シンプルなのが、五所川原の立佞武多。小さなねぶたはなく、太鼓の山車の後ろに、笛と鐘の囃し方が続き、その次に踊り手、そして,立佞武多。圧倒的な立佞武多が際立つためには、これで充分です。

1993年に立佞武多の古図が発見されて、祭りが復活したのが、1998年。青森や弘前に比べて歴史が浅いから、自由度が高いのか、踊りも多彩です。青森ねぶたのように片足で跳ねまくる組もあれば、伝統的な流しの舞踊もあります。

そんな中で目を引いたのが、五所川原高校グループ。大勢の生徒が女子と男子に分かれ、一糸乱れずに、踊り続けていました。これは、体育の授業の集団舞踊。巡行後半になると、大抵のグループは、声が細ったり、しゃがれたりするものですが、彼らだけは、人数のパワーもあって、元気一杯。

もう一つ、青森や弘前、八戸と違うのが、立佞武多の巡行ルートの電線地中化がなされていること。だから、これだけのタッパがあっても、引っ掛かりません。立佞武多が、五所川原の都市景観を誘導しているのです。ただし、正確に言えば、大正時代まで残っていた立佞武多が廃れたのも、電気の普及により、電線が張り巡らされたためというから、その盛衰に、景観との長い因縁がある祭なのです。

そういう意味では、まだ、新しい変化に追い付いていないのが、中心商店街のアーケード。どこの町にもある、ふつうの高さのアーケードですし、これが青森や弘前のねぶただったら見物に支障はないのですが、五所川原だけは、アーケードの屋根に切られて、立佞武多の頭が見えません。とは言え、見物客が、車道に頭を出して、見上げているのは、これはこれで、おもしろい光景でした。

午後9時、号砲で祭りも終わり、のはずでしたが、踊り手の一部が、狂乱したように踊り始めました。祭りの最中から、ヤンパパ、ヤンママの活躍が目立っていましたが、祭りの最後で、彼らのエネルギーが爆発したようです。時間になったら、さっと終わるのもいいですが、年に一度、祭りの高揚感をクールダウンするために、しばらくエネルギーを放出するのも、いいんではないでしょうか。と思ったら、軽いど突き合いが始まりました。これは、エネルギー放出し過ぎ。

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交通
五所川原駅から徒歩圏内。

リンク
立佞武多の館

五所川原市役所
五所川原観光情報局

青森県観光情報サイト

宿泊施設のリスト
五所川原観光情報局 - 泊まる

参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)

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五所川原の立佞武多

        Photo by Daigo Ishii