弘前と前川國男 - 2: 
弘前中央高校講堂
(弘前、青森、日本)

弘前中央高校講堂が完成したのは、処女作の木村研究所が竣工してから22年後の1954年のこと。その年月の成熟を考えると不思議なくらい、若々しい印象の建築です。

訪れたときには、外壁のペンキが褪色しており、それ故、どこか古ぼけても見えましたが、よく見れば、自由で巧みなデザインは、最近の建築家が設計したと言っても通用しそうです。

単純な箱型プランですが、積雪への配慮からか、長手方向の壁面を傾け、壁面に藍色や水色を、軒裏に朱色を鮮やかに使ったことで、重力から解放されたような軽さをまとっています。軒裏の朱色は、前川國男が、軒裏はきれいに仕上がらないと考えていたことに因むそうですが、元々は女子校であったことも意識したのではないでしょうか。

その色や軽さに加え、壁の一部が化粧張りであること、そして、今は、入口の前に鉄骨の渡り廊下が掛かり、それが、ホワイエのスチールサッシュとシンクロしていることもあり、パッと見には鉄骨造に見えましたが、実は鉄筋コンクリート造です。

扉を抜けて、白く清潔な印象のホワイエに入ると、講堂2階部分の傾斜席の、階段状コンクリートスラブの裏側が、そのまま力強く露出して、構造躯体が見事なインテリアとなっています。

860席を有する講堂は、2階の水平窓を分節する斜め柱や、その窓に沿って舞台にまで入り込んだ回廊により、単純なシューボックス形式ホールに変化を与えています。ただ不思議なのは、舞台を中心にして、座席の配置をシンメトリーにするのがふつうなのに、片側の外壁に沿って諸室を設けたことで、アンシンメトリーなこと。

定型に従っているように思わせながら、いろいろな部分のちょっとした工夫で、そこから逸脱したり、曖昧にすることを試みたのでしょうか。仔細に見ると、モダニストとして、構造と意匠の一体を標榜していた前川國男が、その原則から一歩足を踏み出す萌芽のようにも見えました。

木村研究所の理事長だった木村隆三氏の兄であり、弘前中央高校のPTA会長だった新吾氏からの依頼で、創立50周年を記念するために建設されました。建設は、当時としては破格の1500万円だったものの、朝鮮戦争に伴う建築資材の高騰もあって、当初の計画から縮小されたそうです。

(註)見学には許可が必要です。

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交通
弘前駅から板柳、鰺ヶ沢方面行きバスで20分、中央高校前で下車、すぐ。または、土手町循環バスで20分、文化センター前下車。徒歩5分。日中は頻発。

リンク
弘前市役所

弘前観光コンベンション協会
弘前総合情報RIng-O Web

宿泊施設のリスト
弘前市旅館ホテル組合

参考文献
"前川國男と弘前" (A haus2005年1月号、A haus編集部、2005)
"建築家前川國男の仕事" (美術出版社、2006)
木村産業研究所展示

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弘前中央高校講堂(1954)

        Photo by Daigo Ishii