弘前 近世の建築:
岩木山神社(弘前、青森、日本)
森鴎外の「山椒大夫」でおなじみの、安寿と厨子王は、津軽の領主岩城氏の出という伝承が、津軽に残ります。
奸計で没落して、遠方に流された父を訪ねて、越後に辿り着いた姉弟は、人買いにさらわれ、連れて行かれたのは丹後は山椒大夫の元。過酷な労働を強いられた末、安寿は身を投げ、厨子王は都に逃れました。厨子王は、そこで父の罪を晴らし、生き別れになった母を見付け出します。やがて、故郷へ帰った厨子王は、この地を治める領主の地位を取り戻しました。
その安寿を祭神の一人として祀るのが、明治の廃仏毀釈までは、百沢寺と呼ばれていた、この岩木山神社。二代藩主信枚の時代には、山門に安寿と厨子王の像を祀っていました。津軽藩の出自を、安寿と厨子王の末裔と混同視させることを、意識していたように見えます。
そして、この地には、丹後の人が津軽領に入ると、安寿の怨霊で雨が降るという「丹後日和」の言い伝えも残ります。始まりは、悲運の姫を悼んだ民衆の素朴な気持ちの発露としても、津軽藩は、天候不順の際に、丹後からの旅人や船を探して、領民の不満を転嫁し、伝承を、いつか領民支配のカモフラージュに仕立てていました。
さらに、津軽藩初代藩主為信が自らの旗印としたのは、岩木山の鬼退治の伝承に現れる卍と錫杖。
そうやって、支配のために、二重三重に、岩木山を確信犯的に利用したように見えます。
標高1625m、津軽平野から立ち上がる岩木山山頂に社殿が建立されたのは、宝亀 11年(780)のこと。延暦19年(800)に、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、寛治5年(1091)には、神託により、現在地に里宮ができました。天正17年(1589)の岩木山の噴火で全焼したものの、津軽藩歴代藩主が、社殿を再建し、藩の総鎮守、津軽国一ノ宮として篤く保護しました。
晴れた日には、岩木山がよく見えるという鳥居から、石畳の参道をしばらく進むと、寛文7年(1628)建立の朱塗りの楼門が現れます。
造作は、一般の山門を踏襲していますが、圧倒されるのが、これだけの大きさの建築を、朱一色で塗りつぶしたこと。色を施す場合、壁を白くしたり、黄色や緑色を差すのがふつうで、そうすると部材が浮かび上がり、重々しさも低減されますが、単色で仕上げ、階段の上に据えると、量塊のような圧迫感が襲います。どこまでが原型か分かりませんが、訪れる者に、権力への畏怖感を与えるには十分です。
次に現れれるのが中門。黒漆塗りを地として、そこに、極彩色に仕上げた彫刻や文様をちりばめています。楼門とは対照的に、細やかな美しい建築です。本殿とともに、江戸時代中期、1694年頃の作。
そして中門の正面に大きく立つのが拝殿。元々は、神仏習合によりこの地にあった百沢寺の本堂で、内陣と外陣の大きな密教建築です。慶長8年(1602)から寛永17年(1640)に掛けて建設され、外観の丹塗りの印象は、同年代にできた楼門につながります。
拝殿の奥に、瑞垣に囲まれて立つのが、元禄7年(1694)完成の本殿。千鳥破風に軒唐破風、そこに彫刻が加わり、凝った構成です。瑞垣の外からは、見えにくいのですが、黒漆を地に極彩色を重ねた意匠は中門以上で、「奥の日光」の名にふさわしい豪華絢爛さです。日光東照宮が、今に見る華麗な社殿となったのは、寛永13年(1636)のことだから、その先端デザインが、500キロ離れた北の地に、当時の伝播速度としては、決して遅くはないだろう60年の時間を経て実現した訳です。
岩木山神社のおもしろさは、2つの異なる系譜の建築が、直線状に、互い違いに配置されていること。一つは、日光東照宮を源流とする江戸時代の先端デザイン、もう一つは、それ以前の平安時代から連綿と続く、中世の主流の一つ、密教の建築デザイン。
同じスタイルの建築で、伽藍を統合する方が、強いイメージを生みますが、そんな考えを反故にする力が、日光東照宮の建築の出現と、それを徳川家が採用したという事実にあったのでしょう。
正統性を必要とした津軽藩にとって大事だったのは、スタイルの一貫性より、権力を表現する時代のデザイン。だから、時代が変わり、密教建築が時代遅れになれば、新しい日光東照宮を選ばざるを得なかったのではないでしょうか。
多かれ少なかれ、寺社仏閣は権力の表現。伝承との結び付きや建築のスタイルからは、岩木山神社が、そのプラグマティックな実践例に見えて来ました。
交通
弘前駅から岩木山神社、百沢、枯木平方面行きバスで40分(1〜2時間に1本)、岩木山神社前で下車、すぐ。
リンク
弘前市役所
弘前観光コンベンション協会
弘前総合情報RIng-O Web
宿泊施設のリスト
弘前市旅館ホテル組合
参考文献
「青森県の歴史散歩」(青森県高等学校地方紙研究会編、山川出版社、2007)
あおもりの文化財
文化遺産オンライン
Wikipedia
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