八戸に学べ:八戸の町 - 1
(八戸、青森、日本)
八戸を訪れるたびに感じるのは、ここは、ソフトで出来上がっている町なんだなあ、ということ。
八戸までわざわざ見に行く価値のある建築と言ったら、昔の遊郭を旅館にした「新むつ旅館」以外には、今のところ発見できません。歴史の古い町ですし、戦災の被害も大きかった訳でもないのに、すば抜けた名建築や、古い街並はほとんど見あたりません。
じゃあ、町に魅力がないか、と言えば、飛んでもない。この町は、ハードに頼らない、さまざまなソフトによる楽しい仕掛けにあふれています。日本の多くの町が、ハードから脱してソフトでどう町づくりをしようか、と四苦八苦している中、八戸のソフトによる町おこしは、江戸時代に遡るものもあるほど、時間の蓄積に支えられています。その意味では、これからの町づくりの先駆者かもしれません。
例えば、夏を彩る祭り「八戸神社大祭」。巨大な山車と行列が、中心部を練り歩くこの祭の始まりは、江戸時代半ば。成立の背景には、八戸城下に、外から人を呼び寄せ、商業を繁栄させる意図があったようです。そして、明治時代、興業プロモーターとして活躍した大沢多聞が、より盛大な仕掛けをつくり、町起こしとして華やかになりました。冬の祭り「えんぶり」も、個別に行われていたのを、大沢多聞が、明治14年、八戸中心部で、一斉に舞を披露する形に変え、中心部の活性化イベントとして発展しました。
祭りは、一度で終わる訳ではなく、毎年繰り返され、技術やシステムが継承されて行きますが、八戸では、そういう祭りを通して、町おこしの気風も町づくりの技も引き継がれたのではないでしょうか。
今の八戸の大きな目玉の朝市。昔ながらの風情を残す陸奥湊の朝市だけでなく、 その陸奥湊市場の業者が始め、今では巨大な観光市場になった八食センターや、出店数350店、1日あたりの来場者数最大3万人という館鼻岸壁の巨大な朝市も、単なる思いつきが、うまくころんだというより、歴史的背景のあるソフトによる町づくり力が、きちんと継承された結果ではないか、とにらんでいます。市場が成功した町は他にあっても、八戸が一頭抜きん出ているのは、市場が1個所ではなく、いくつも成立していること。そこが、他の町との大きな違いであり、ソフト力の違い。
中心部の映画館「フォーラム八戸」。撤退した映画館を引き継いだのでしょうが、そのプログラムに驚きます。最新の大作だけでなく、ミニシアター系の話題作に、名画まで。このプログラムを東京で見るには、どれだけ、 電車を乗り継がなければならないことか。
市民の出資による映画館「フォーラム」の仕組自体は、1979年に山形で始まり、その後、東北各地に広がったものです。八戸が最初ではありませんが、驚くのは、八戸の出資金の額。他では、1千万円に届かないところが多く、発祥の地、山形でさえ、開始時と最近の拡大時を合わせて、6000万円というのに、八戸では、一度で8000万円集まったそうです。それもまた、長い時間を掛けて、市民の中に、ソフトにお金を投入し、町を活性化する意識が培われてきた証に見えます。
交通
八戸駅から中心街までバスで20分(日中10分間隔)、十三日町、三日町で下車。陸奥湊まで40分(日中10分間隔)。
リンク
八戸市役所
八戸観光情報
八戸観光コンベンション協会
宿泊施設のリスト
八戸市の宿泊施設
参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"図説青森県の歴史" (成田稔・長谷川成一, 河出書房新社, 1991)
"郷土資料事典 青森県" (人文社, 1998)
"季刊あおもり草子第25号" (企画集団プリズム, 1985)
"えんぶり読本" (正部家種康, 伊吉書院, 1992)
"江戸時代ひとづくり風土記2青森" (農山村漁村文化協会, 1992)
"八戸市博物館 えんぶり展" (八戸市博物館, 2012)
"八戸三社大祭の歴史"(三浦忠司, 伊吉書院, 2007)
"八戸三社大祭公式ガイドブック"(八戸観光コンベンション協会, 2011)
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