鉄道防雪林(野辺地、青森、日本)
東北本線が北東北に入ると、線路に沿って続く杉の並木を、しばしば見掛けることになります。
明治24年(1891)に全通した東北本線は、冬になると雪と風で線路が埋没し、列車の運行に障害を来していたそうです。その対策として、岩手県の水沢駅から青森県の小湊駅の間38個所に、50ヘクタールの防雪林が設けられ、今も残る、高く伸び、青々とした杉林の壁へと成長しました。鉄道林に行き着く前に、雪除けの板塀なども試されましたが、強風で倒壊したり、機関車からの火の飛沫で燃え、用をなさなかったようです。
JR東日本に実際の鉄道林がどこにあるか問い合わせたところ、ちゃんとした資料がないとのことで、正確には分かりませんでしたが、平野部で、杉の林が、一定の距離以上、線路に沿って植えられているところは、鉄道林と考えていいのではないでしょうか。鉄道林の試みは、その後、奥羽本線にも広がったそうですから、青森ー弘前間の林もその一環でしょうし、大湊線の野辺地ー大湊間にも、かなり連続していました。
その鉄道林の中で、最初に植林されたのが、野辺地の防雪原林です。明治26年(1893)、東北本線開通から1年半後のことでした。設計したのは、日比谷公園や明治神宮を設計し、「日本の公園の父」と呼ばれた本田静六。ドイツに留学し、カナダ鉄道についても学び、帰国したばかりの本田が、「鉄道の防雪には森林をもってすることが、すべての面で最善である」と、建設した日本鉄道の重役、渋沢栄一に提言して、事業が始まりました。その後、本田静六は、帝国鉄道庁嘱託として、明治39年(1906)から昭和17年(1942)まで、指導的立場で、鉄道林に関わることになるのです。
野辺地駅の南西側、何本もの待避線や作業スペースを挟んで、ホームに向かい合うように、杉がそびえ立っています。林の奥行は50メートル、高さは25〜30メートルほどでしょうか。ホームの目の前にあり、大きく「日本最古の鉄道防雪林」という看板も立っているのですが、なぜか、駅から直接防雪林側へ渡ることはできず、一端外に出て、300メートルほど先の踏切を渡って、大回りしないと近づけません。
どの木も、きれいに下枝が払われ、幹もきれいにまっすぐ立ち上がっています。人は見掛けませんでしたが、遊歩道もきれいに保たれ、丁寧な管理が見受けられます。冬の長い地のせいか、下草もそれほど伸びておらず、中に入ると、神社の杉並木の重い雰囲気とは違う、思ったより明るく澄んだ空気が漂っていました。
コンクリートや金属の防雪施設は、設置すればすぐ効果を発揮します。その一方、近年問題になりつつあるように、防雪施設に限らず、多くの人工的土木インフラは、時間が経過すると、厳しい気候や紫外線の影響で老朽化し、損壊や腐蝕、崩落などが顕在化して来ます。補修や、つくり替えの費用も、場合によっては莫大です。
防雪林のような、自然を利用したインフラは、効果が出るまでには、年月を必要としますが、一度育ち、定期的な管理を怠らなければ、未来永劫、大きなつくり替えも発生せず、引き継がれて行きます。さらに、鉄道林に関しては、昭和40年代までは、林が供給する木材から、管理費用まで捻出できたそうです。これだけの規模で残る東北の鉄道林は、インフラと時間の問題、人工物の限界と自然物の強靱さの対比、そしてリサイクルの可能性について考えさせる優れた例なのです。
そして、毎日利用する人々が、鉄道を守るための特別な林というよりは、自然のランドスケープの一部と、今では思っているぐらい、100年を越える時間は、自然のインフラを、東北の、そして、青森の風景に変えたのです。
交通
野辺地駅から徒歩5分。
リンク
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参考文献
土木学会選奨土木遺産
野辺地町役場
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
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