恐山 - 2(むつ、青森、日本)

恐山は、比叡山、高野山と並ぶ日本三大霊場の一つです。本堂は修行の場であるとしても、特異な風景に加え、その風景の上に展開される霊場の空間が、他の二つと大きく違います。計画学的に、あるいは、美学的につくられたのでもなく、もとより、既成宗教の世界観を映し出したものでもなく、そこから距離を置いた、庶民の死者への想いが集積されて、現出した場です。

庶民により「死者の魂の集まる場所として信仰され」(「山と信仰 恐山」よりの引用)ていた恐山を、管理者となった円通寺が、弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救う地蔵菩薩信仰と結び付け、今の形になったとも言われるから、元々、既成宗教の役割が絶対ではなかったようです。

例えば、地蔵堂の裏に位置する鶏頭山は、その「手前の樹木に手拭や草履などを懸け、死者の好物のいろいろなご馳走をたずさえてきて供え、ホトケ(死者)の名前を呼ぶ。すると、ホトケの霊魂が降りてきて、再会できると信じられている」(「山と信仰 恐山」よりの引用)と言い、既成宗教からは、はるか遠くにあります。

賽の河原では、死者の供養のために訪れた遺族が、石を積み上げ、塔をつくっています。死者となった子供たちが、功徳を積み、成仏するために、石を積んでいるが、それを鬼が壊してしまうという話に基づき、遺族が、成仏を願って積み上げたものです。遺族の供養を、寺が媒介することなく、遺族自身、直接行う場です。

その賽の河原や、祠や仏像、地獄と言った、点々と散らばる祈りの場を結びつけるように、小径のネットワークが広がります。既成宗教が計画したものではなく、ここを訪れ、死者を弔う人々が、祈りの場に向かうために、積み上げられた石を避けて歩き、祈りの後、自分が積み上げる場所や、寺は禁じているものの、小さな仏像や風車を据える片隅を見つけるために動く中で、自然発生的に現れたものです。

一人一人の軌跡が積み重なり、たくさんの通る場所は、道らしき気配を帯び、その道が、新しく来た人々を導きます。人の流れは、想いにより、微妙に移ろうため、道は確固とせず、さらに、不規則に吹き出す硫気孔で、つねに修正されて行きます。

庶民の想いが、場を定義し、それらをつなげる経路をつくり、しかし移ろわせ、既成宗教のコントロールの弱い信仰の場に仕立てています。

庶民の想いは、本堂にも及び、高位の霊場とは思えないほど、室内には、遺族が、亡くなった家族に供えたさまざまな物が置かれています。いろいろな物の入ったカバンや紙袋、背広や靴は、成仏する旅路に必要なもの。花嫁人形は、結婚前に亡くなった人が、あの世で妻を娶ることを願って置かれたもの。そして、家と恐山で2枚つくるという遺影。遺族の哀しみとともに、優しさが伝わります。遺族と死者を結ぶ「イタコの口寄せ」もまた、寺の関与がなく、庶民の想いが支える信仰です。

元々は、下北半島一帯の人々の信仰対象だった恐山ですが、今では、檀家は、八戸から北茨城に掛けて、東北地方太平洋側に広がります。恐山は、下北半島だけでなく、東北地方太平洋側の死生観を形作り、映し出しているのです。そして、その東北地方太平洋側の檀家の中に、東日本大震災で亡くなられた方々が、多数いたそうです。

11月、恐山は閉山し、豪雪で、道も途絶する中、翌年の4月末まで、2人の住職のみで守られて行きます。

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交通
下北駅からバスで35分(1日7本)、恐山で下車。徒歩すぐ。冬季運休。

リンク
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参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"山と信仰 恐山" (宮本袈裟雄,高松敬吉, 佼成出版社, 1995)

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恐山

        Photo by Daigo Ishii