シンガポールの都心から地下鉄MRTで20分。バヤレバ駅を下り、少し歩くと、その辺りが、近年、お洒落な店やレストランの集まるカトンの入口。
元々は、19世紀前半に、ココナッツのプランテーションとして開拓され、その後、海岸沿いに週末のリゾートのお屋敷が立ち始めました。20世紀に入ると、都心の喧騒を逃れた富裕層が移り住み、ショ,ップハウスの立ち並ぶ街並が生まれました。
周辺に広大な土地を所有していたチュー・ジョーチャットが、道路を通すための土地を役所に寄付したことに因むジョーチャット・ロードや、その通りと交差する、不動産業者チィヨン・クーン・センに因むクーンセン・ロードのあたりに、当時の街並が今も残ります。
15世紀後半からマレーシアや現在のシンガポールに移民した中華系民族、および、東南アジア系民族と婚姻した中華系民族の子孫をプラナカンと呼び、中国文化とマレーやヨーロッパの文化の融合した独特のスタイルが生まれました。それがプラナカン文化。生活や衣服、食、そして建築まで及びます。シンガポールにおけるプラナカン文化の中心がカトンで、プラナカンの影響を受けたショップハウスは、チャイナタウンにも残りますが、集中して立ち並び、より華やかで真髄に触れられる場所が、このカトンです。
中華系のショップハウスには、元々は、外壁に装飾を施すという手法はなかったそうですが、ヨーロッパのネオクラシック建築の影響を受けて、オーダーを頂いた柱や、花を初めとするレリーフなどで過剰に飾られたプラナカンスタイルのショップハウスが誕生しました。壁や床に使われ、花や幾何学的な文様を焼き付けたタイルには、フランス、イギリス、ベルギーから輸入されたものもあるそうです。
一方で、壁のレリーフには、鹿、龍、犬など、財運と長寿を意味する中国由来のモチーフも用いられており、ヨーロッパのスタイルをただなぞるだけでなく、ローカルな文化に翻案された上で、受容されています。
壁やレリーフの塗装の色彩は、オリジナルの色から大きく変化している可能性もありますが、カラフルなタイルを見ると、建物全体を覆う豊かで、楽しい色遣い自体は、プラナカンの伝統に違いありません。
実際にふつうの住居として使われている建物も多いし、住民向けの店などもあって、きれいに調えられすぎず、適度に生活臭の残るところが、観光化が進み、行儀よく見えるチャイナタウンとちょっと違い、居心地のよい雰囲気をつくり出しています。
間口の狭い家が多いのは、プラナカン文化の発祥の地マラッカで、植民地支配をしていたオランダが、間口の幅を基に、家屋税を定めていたことに遡りますが、その代わりに、中庭を挟んで奥に続く、奥行の深い住居となっています。
2011年に保存地区に指定されたようですが、道路側のプラナカンスタイルの街並を残せば、中庭を挟んだ後ろ側には、最大4階建までの建物が建てられる条例があったため、裏に、シンガポールの他の場所でよくありがちな集合住宅が立っているところもあります。住居形式を含めてというよりは、書き割り的保存に向かい兼ねない状況のようです。シンガポールで豊かに発展したプラナカン文化を体現する街並だけに、シンガポールのアイデンティティーの拠り所の一つとして、オリジナルに近い形で残ってほしい場所です。
交通
シンガポール中心部からバス。または、地下鉄Paya Lebar駅から、Katongの街並入口まで、徒歩10分程度。
宿泊施設のリスト
参考文献
望遠鏡15「シンガポール&マレーシア」(ガリマール社,同朋社,1997)
Architectural Heritage Singapore(APD Singapore,2004)
Wikipedia
カトン地区案内板
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