アヌラーダプラの遺跡地区 - 1
(アヌラーダプラ、スリランカ)

仏教が生まれてから数百年の間は、仏像はなく、ブッダを暗示するさまざまなものが礼拝の対象でした。それらをチャイティーヤと呼び、菩提樹、仏足石、遺骨を納めるストゥーバなどが含まれます。

仏教の興ったインドで、ブッダガヤーの菩提樹、サーンチーのストゥーパなど、世界遺産に指定されたチャイティーヤを回ろうとすれば、大旅行ですが、実は、その二つを一日で見ることができる上に、こちらも世界遺産に指定されている場所があります。それが、ここアヌラーダブラです。

インドから伝来して以来2300年、元祖ではないとしても、本家ぐらいになっていないでしょうか。仏教の衰退したインドと違い、外敵の侵攻による盛衰はあったものの、21世紀の今も、アヌラダーブラの菩提樹やストゥーパ(ダーガバ)には、たくさんのスリランカ人善男善女がお詣りに訪れます。化石となった文化遺産ではなく、生きている聖地であること、それが本家たる由縁です。ストゥーパに関しては、元祖インドより、古式を止め、規模も大きいそうですから、お買い得感もあります。

アヌラーダプラの歴史は、考古学上は紀元前10世紀までまで遡ります。紀元前380年、シンハラ朝の都となり、壮麗な都市が築かれました。都は10世紀まで存続し、一時は、世界10大都市に数えられたほどです。しかし、インドからのタミール人の侵略が繰り返された結果、1017年、ポロンナルワに都は移り、その後、800年以上放棄されます。

地図を見る限り、広大な全域を司る都市の原理は、読み取れませんが、中心にある「スリー・マハ菩提樹」、「ルワンウェリ・サーヤ大塔」など、8つの場所を線で結ぶと、頭を後ろに向けたライオンの姿になるそうです。紀元前247年、スリランカに仏教を伝えたマヒンダが、聖なる場所を示すために花を撒いた時、聖別された場所です。

その後、王によって建立された総本山マハーヴィハーラ寺院の寺域となりましたが、アヌラーダプラは、伝来以来、仏教の中心地として、世界中から人々が訪れるほど栄えた地でもありました。

現在のアヌラーダプラは、市街地とその西の遺跡地区に分かれています。緑に覆われた遺跡地区は、点々と集落を挟みながら、東西2km南北5kmにわたります。車では分かりませんが、歩くには広すぎ、自転車でも疲れ果てる広さです。その距離感自体が、壮大な古代の都市の名残であり、この地で仏教が手にした力の大きさを語っていないでしょうか。仏教の力の可視化こそが、都市をつくる見えない原理だったのかもしれません。

写真解説:

最上段+左列最上段:往時には世界第3位の高さ122mを誇ったジェタワナラマ大塔(現在は70m)。3世紀建立。

左列3段目:ムーンストーンの残るクイーンズパビリオン。

中列3段目:紀元前1世紀建立のアバヤギリ大塔(往時は110m、現在は75m)。

左列4段目+5段目:僧のための沐浴場クッタム・ポクナ。2つの池や取水口の深さを利用して、水を濾過したそうです。

左列6段目:インドのネール首相がイギリス植民地政府によって投獄された際、その写真を持っていたと言われる優美なサマーディ仏像。4世紀建造。

左列最下段:ポロンナルワのものと並び、スリランカでもっとも素晴らしいと言われるムーンストーン。輪の文様は、外側から炎(欲望)、象(誕生)、馬(老齢)、ライオン(病)、牡牛(死)を意味し、輪廻を象徴するそうです。

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交通
アヌラーダプラまで、コロンボから鉄道で4時間半、車で5時間。アヌラーダプラの駅から遺跡地区の入口までは1kmほど。

宿泊施設のリンク

参考文献
地球の歩き方「スリランカ」(ダイヤモンド・ビッグ社、2007)
インド古寺案内(神谷武夫、小学館、2005)
世界美術全集11 インド・東南アジア(平凡社、1953)
Lonely Planet Guide 'Sri Lanka' (Lonely Planet Publication, 2006)
Mahavihara at Anuradhapura (T. G. Kulatunga, Tharanjee Prints, 2002)
Wikipedia

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アヌラーダプラの遺跡地区

Photo by Daigo Ishii