ダンブッラは、スリランカを南北と東西に貫く幹線道路の交差する要衝で、近年、物資の集散基地として、発展しつつあります。
世界遺産「石窟寺院ダンブッラ」は、その町外れの岩山にあります。
麓から高さ150mほど、岩山の中腹が大きく切り込まれ、中に、5つの石窟が納められています。寺院の前は、緩やかにうねった大きな岩盤が庭のように広がり、岩の力と結びついた場所であることを、いっそう実感します。石窟同士は、迫り出す岩を庇とした白壁の回廊で結ばれています。
もともとは、修行僧の住む洞窟でしたが、タミール人に都アヌラーダプラを追われた王をかくまい、助けたことから、王が、アヌラーダプラ奪還後、感謝の念で、石窟内部をつくったそうです。第1窟、第2窟、第4窟がそれにあたり、紀元前1世紀のことです。それ以来、2000年にわたり、時の王の力で整備され、18世紀には第3窟、1915年には第5窟も加わりました。壁画は、色褪せれば塗り直されたため、創建当時のものではなく、18世紀以降と考えられているそうです。
5つの石窟は、インドの石窟寺院のように建築的に激しく彫り込む訳でもありません。水平な床と斜めの天井を切り出した洞穴の形を、そのまま素直に利用しているだけです。そこに描かれた壁画も、時代差は少ないためか、強いスタイルの違いは感じません(第3窟が少しだけ味気なく見えたのは、色味や褪色の違いでしょうか)。造りの骨格は似ていますが、しかし、石窟によって、写真の引きさえ取れないものから、大きなホールのようなものまで、広さや奥行にかなり差があり、それが、空間の印象の違いとなって現れます。
圧巻は、第2窟で、間口50m×奥行23m×高さ7m。大きなストゥーパや涅槃仏を含む56体の仏像が置かれ、中央には、ダンブッラの名の由来となった「水の湧き出る岩」があり、天井から雫が落ちて来ます。それらを圧倒するのが、天井一面の壁画です。
仏陀の生涯からタミール人との戦いまで、個々の解釈は分からずとも、これだけの面積を、図像が埋め尽くすと、細かく文様を織り込んだ巨大なペルシア絨毯が宙を舞うようです。岩の重力感を保ちながら、同時に、重力感が打ち消されたような不思議な実在感です。小乗仏教のスリランカでは縁遠いかもしれませんが(密教の遺物の出土はあるそうです)、曼陀羅が降って来るようにも見えました。
ダンブッラは、一般のスリランカ人の信仰の場は卒業しているように見えるものの、今でも現役の寺院です。見学中にも、僧侶の礼拝のため、30分ほど、石窟の扉が閉ざされました。2000年の間、信者が、時に盛大に、時に細々となることはあっても、僧侶が、盛衰に惑わされず、篤く守り続けた結果が今の姿であり、そして、これからも同じように、信仰の場として引き継いで行くのでしょう。
気になったことと言えば、それは、絶望的な照明です。仏像や壁画が霊安室の死体に見えて来ます。世界遺産なのだから、Unescoや政府にどうにかしてほしいものです。
交通
ダンブッラまで、キャンディー、アヌラーダプラから車で2時間
宿泊施設のリンク
参考文献
地球の歩き方「スリランカ」(ダイヤモンド・ビッグ社、2007)
世界遺産No.93 聖地キャンディ(講談社、2006)
世界美術全集11 インド・東南アジア(平凡社、1953)
Lonely Planet Guide 'Sri Lanka' (Lonely Planet Publication, 2006)
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ダンブッラ - 外観と回廊
ダンブッラ - 第1窟「神々の王の寺」 (紀元前1世紀)
ダンブッラ - 第2窟「偉大な王の寺」 (紀元前1世紀)
ダンブッラ - 第3窟「偉大な新しい寺」 (18世紀)
ダンブッラ - 第4窟「3人の王の寺」 (紀元前1世紀)と第5窟「2番目の新しい寺」 (1915)
Photo by Daigo Ishii