青森のお祭り:えんぶり - 1
(八戸、青森、日本)

八戸三社大祭と並ぶ、八戸を代表するもう一つの祭りが、冬のもっとも厳しい時期、2月の半ばに開かれるえんぶりです。

豊作を祈る農耕儀礼「田遊び」が発展したもので、八戸三社大祭が、町の祭とすると、えんぶりは、周辺の農村の農民が担い手のお祭りでした。鎌倉時代初めに遡るという説もありますが、実際に文献で確認できるのは、正徳5年(1715年)の藩の日誌となります。

もともとは、それぞれの集落が別個に行っていたものが、明治維新の際、旧習として、一度廃止されました。それを、明治14年に復活する際に、まとめ役となった大沢多聞や河野市兵衛らが、八戸中心部の活性化として、全えんぶり組を中心部に集めて、一斉に舞を披露する形に変えました。

さて、えんぶり初日の朝は、午前7時に始まります。張り詰めたような冷気の中、八戸中心部から歩いて15分ほどの丘にある長者山新羅神社に、各組が、舞を奉納するのです。正確に言えば、午前0時に、奉納の順番を決めるために並ぶそうですが、冬の凍った夜道を神社まで上って見学するのは、気が進まないので、これはパス。長者新羅神社で全組が奉納を行わうようになったのも、大沢多聞による仕掛けです。

各組は、白い紙を巻いた棒、ザイを持つ親方を先頭に、旗持ち、えんぶりを披露する太夫、その他の舞い手、囃子方と続き、約30組が、鳥居から拝殿にいたる参道を埋め尽くしています。

拝殿の前で舞を披露するのは、えんぶりの太夫で、宮司からお祓いを受けて、舞を納めると、八戸酒造の社長から拝領したお神酒を受け取り、退がります。一組だけ、拝殿に上がるのは、組同士のいざこざを収めるために、これも、明治時代に設けられた取締役の元締め、総取締役の売市組です。

こうやって、早朝の2時間を掛けて、30組が、杉に囲まれた境内の拝殿の前で、次々と舞を披露して行きますが、この組の数そのものが、八戸の時間の厚みを示すようです。

舞の奉納を終えた組のいくつかは、境内の一郭で、舞を披露します。初日のメインイベントである一斉摺りは、短時間に全組が一斉に、人混みで身動きの取れない中心部の大通りで舞うため、全体の流れをつかむのは難しいのですが、この奉納の場では、初めから終わりまで、祭りを構成するすべての舞を集中して観覧できるので、えんぶりを理解する絶好の機会です。

「えんぶり」は、祭の名となった「えんぶり」と、その間に行われる祝福芸から成ります。

「えんぶり」の名は、水を引いた田を平らにかき均す代掻きの農具「えぶり」に由来します。「えんぶり」を舞うことを「摺る」というのも、その農作業の様子に因みます。そもそも、農具の名は「えんぶる(揺さぶる、いぶる)」という言葉に因み、揺さぶって、土の中で眠っている霊を目覚めさせるという意味もあるそうです。

メインの「えんぶり」は2種類。古式をとどめる「ながえんぶり」と、新しい「どうさいえんぶり」で、「ながえんぶり」の主役、藤九郎の持つナリゴイタが「えぶり」の名残と言われています。

どちらの「えんぶり」も、太夫と呼ばれる3人、または5人の摺り手によって行われますが、「ながえんぶり」が、複雑に大きく摺る主役の太夫、藤九郎と、それを補佐する太夫に分かれるのに対して、「どうさいえんぶり」は、各太夫が、同じ動きをします。

今は、ゆるやかに舞い、藤九郎一人の動きが出来を支配する「ながえんぶり」よりは、太夫全員の動きが派手で、テンポが速く、見栄えのする「どうさいえんぶり」が人気ですが、中居林組の「ながえんぶり」を見ると、類まれな技を持った藤九郎による摺りは、時間を引き伸ばし、滔々とした流れに変えるような迫力でした。

「摺りはじめ(擦りこみ)」「中の摺り」「摺り納め」から成る「えんぶり」は、その舞と順序が、稲作の過程と重なり、田が、舞に従って、順調に成育し豊作となることを願っているそうです。

その「えんぶり」の合間に披露されるのが祝福芸。豊作を祈る「えんぶり」に対して、こちらは、新年を祝う芸となります。

子供たち数人で踊る「えんこえんこ」、どぶろくを飲んだ男が、松の枝を描いた扇を片手に踊る「松の舞」、釣り竿を持ったえびす様が鯛を釣る「えびす舞」、打出の小槌と扇を持って踊る「大黒舞」、金輪を組み合わせてさまざまな形をつくる「金輪ぎり」などです。ほとんどの祝福芸の舞い手は子供たち。顔に墨でひげを書いて、小学生が、酔っぱらった「松の舞」を演じるのですが、こんなことに、教育上好くないと目くじらを立てない八戸は、さすがです。

さて、拝殿への奉納や芸の披露でにぎわうこの朝の2時間のトリは、北陵中学校のえんぶり組です。中学生が、真夜中に順番を取るために並ぶ訳にも行かないから、当然ですが、いちばん若い彼らが締めることで、期せずして、えんぶりの未来を託す形になっていました。彼らだけは、太夫の数が9人のようで、できるだけ多くの子供たちに、郷土の伝統芸能を体験する機会を与えることが、えんぶりを継ぐ力となって行くのです。

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交通
八戸駅からバスで20分(10分間隔)、十三日町、三日町で下車。

リンク
えんぶり(八戸市役所)
えんぶり(八戸観光コンベンション協会)

八戸市役所
八戸観光情報
八戸観光コンベンション協会

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参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"図説青森県の歴史" (成田稔・長谷川成一, 河出書房新社, 1991)
"郷土資料事典 青森県" (人文社, 1998)
"季刊あおもり草子第25号" (企画集団プリズム, 1985)
"えんぶり読本" (正部家種康, 伊吉書院, 1992)
"江戸時代ひとづくり風土記2青森" (農山村漁村文化協会, 1992)
"八戸市博物館 えんぶり展" (八戸市博物館, 2012)
"八戸三社大祭の歴史"(三浦忠司, 伊吉書院, 2007)
"八戸三社大祭公式ガイドブック"(八戸観光コン

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えんぶり 奉納

        Photo by Daigo Ishii