青森のお祭り:えんぶり - 3
(八戸、青森、日本)
午前10時40分、号砲とともに、一斉摺りが始まりました。
中心部の大通りに30組が並び、一斉に舞を披露します。とにかくすごい人出ですし、すべての組が同時進行ですから、各組の違いや優劣を見極めるどころか、摺り初めから摺り納めまでをゆっくりと鑑賞する余裕もありません。ただもうビル街を埋め尽くす舞とお囃子に圧倒されて、流れに身を任すだけです。
一斉摺りが始まったのは、明治14年。本来は、八戸の農村のそれぞれの集落で、個別に小正月に行われていたものを、八戸で興行を手掛けていた大沢多聞が、中心部の商業振興イベントとして、全組が、中心部で披露する形に改めました。2月17日が初日に決まっているのも、太陰暦から太陽暦に切り替わる時期だった明治14年の小正月が、この日付だったためです。
ビル街と伝統行事の取り合わせに、新しいイベントのように錯覚しますが、この一斉摺り自体が、すでに130年を超える歴史を持っているのです。大沢多聞は、1世紀を超えて生き続けることを想像していたでしょうか。
八戸に人を呼び寄せるイベントとして成功しただけではありません。小さな地域でわずかな地元民に披露するままだったら、先細りになり、絶えていたかもしれませんが、全組がまとまって、中心部のたくさんの観客の前で披露することが、今は、続けることのモチベーションとなり、お互いが切磋琢磨する力となっていると感じます。
同じような行事は、東北各地で行われていたそうですが、今では、きちんと盛大に残るのは、八戸だけとなりました。戦後、存続が危ぶまれた時期があったとは言うものの、大沢多聞の仕掛けは、伝統文化存続の力ともなっているのです。
午前11時20分、再び、号砲が、空に鳴り響きます。終了です。多分、摺り初めから摺り納めまでを一通り舞うのに要する時間なのでしょうが、あまりにも短く、あっという間です。お目当ての組を探す途中で、他の組をつまみ食いしているうちに、いつも終わってしまいます。
このいさぎよさが八戸らしいとも思いますが、せめて40分伸ばして、舞がもう一巡すれば、いろいろな組を一通り回り、お目当ての組に行き着くことができるでしょうに。
見方を変えれば、もっと見たいなら、来年また来てください、ということかもしれません。ほんとうに商売上手だこと!
交通
八戸駅からバスで20分(10分間隔)、十三日町、三日町で下車。
リンク
えんぶり(八戸市役所)
えんぶり(八戸観光コンベンション協会)
宿泊施設のリスト
八戸市の宿泊施設
参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"図説青森県の歴史" (成田稔・長谷川成一, 河出書房新社, 1991)
"郷土資料事典 青森県" (人文社, 1998)
"季刊あおもり草子第25号" (企画集団プリズム, 1985)
"えんぶり読本" (正部家種康, 伊吉書院, 1992)
"江戸時代ひとづくり風土記2青森" (農山村漁村文化協会, 1992)
"八戸市博物館 えんぶり展" (八戸市博物館, 2012)
"八戸三社大祭の歴史"(三浦忠司, 伊吉書院, 2007)
"八戸三社大祭公式ガイドブック"(八戸観光コン
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