弘前 近世の建築
長勝寺(弘前、青森、日本)
霊廟というのは、祖先崇拝を通して、婉曲的に、自分たちの出自の正統性を強調し、権力の基盤を固める意図がつきまとう建築です。立ち現れる建築の発信力が強いほど、その正統性もより担保されるというからくり。だから、日光の東照宮を究極として、派手な建築に向かうのも必然です。
他藩以上に正統性を必要とした(ように見える)津軽藩のお膝元、ここ弘前に、歴代藩主の霊屋がつくられたのも、その流れと無縁ではないのでしょう。しかし、長勝寺や革秀寺の霊屋に、400年経って、相対してみると、盤石でない正統性を固めるためだった霊屋も、今や、何の後ろ暗さもない、ゆるぎない正統性の表現に見えて来るから不思議です。優れた文化には、時間とともに、経緯を変質させてしまう力があるのです。
津軽藩二代藩主の津軽信枚が、弘前城の裏鬼門、南西の方角に、領内の曹洞宗系33寺院を集めてつくったのが、禅林街。藩内の中央集権を進めるために宗教を利用し、同時に、非常時の防衛拠点「構(かまえ)」として整備し、長勝寺構と名付けました。
その名の元となる長勝寺は、禅林街の、600メートル近い杉並木の参道の最奥にあります。一代藩主為信の曾祖父が、その父の菩提を弔うために創建し、津軽氏の弘前への移転とともに、慶長16年(1611)、この地にやって来ました。
天台宗に改宗した3代藩主信義の代まで、津軽家の菩提寺として篤く保護されたこともあり、為信を祀った御影堂(寛永6年-1629)と後の代の霊屋が置かれています。ただし、為信の霊屋自体は、革秀寺に残ります。
写真で見るのみですが、本堂後ろに位置する御影堂は、堂内に、極彩色に金箔や金泥を施した豪華な厨子を置き、そこに像を祀る、藩祖にふさわしい華やかな建築のようです。その御影堂の南、本堂から離れた杉木立の中に、一直線に、5つの霊屋が並びます。
朱に塗られた玉垣が囲む境内に、為信正室の環月臺(寛永5年-1628、寛文12年-1672再建)、二代藩主信枚の碧巌臺(寛永8年-1631)、二代藩主信枚正室の明鏡臺(寛永15年-1638)、三代藩主信義の白雲臺(明暦2年-1656)、六代藩圭信著の凌雲臺(宝暦3年-1753)が置かれています。
いずれも、二間四方の入母屋造の小さな霊屋です。時代に応じて変化しているという建築の細部は、玉垣の外からは窺えませんが、素木としたあたりが、藩祖為信の厨子に対して一歩引いているように見えました。藩祖を頂点とする正統性が、強調されるのではないでしょうか。
石造の塔を祀った内部は、写真によれば、天井に鮮やかな龍や天女が描かれてはいるものの、壁は板の卒塔婆を回した、控えめな印象です。ただ、細かく、密度の高い外観の組物が、格をつくり、さらに、それが5棟、等間隔で並ぶと、張り詰めた空気が生まれます。津軽家に連なる者を、下々からは遠く、崇高に感じさせる演出です。
長勝寺の伽藍の中心は、山門(寛永6年-1629)、正面の本堂、向かって右手にある、旧居城の台所を移築したと伝わる庫裏(文亀2年-1502)、左手の、元々は禅堂だった蒼竜窟から成り、霊屋は、その背後に隠れます。
伽藍は、禅宗の形式からすれば、元々は、中庭を囲んで回廊を設け、堂を結んでいたのでしょう。大伽藍の禅宗の名刹に比べ、今でも小振りな中庭だから、回廊が加われば、かなり建て込んだ印象です。組物の見事な、豪壮な山門を除けば、津軽家の菩提寺として、こぢんまりとした印象がするのもそれ故です。禅林街入口の黒門が、長勝寺の表門ですから、禅林街全体を、大きな伽藍に見立てた上での、凝縮された内核と見るべきかもしれません。
曹洞宗の寺院建築として、日本最古の本堂(慶長15年-1610)は、柱と開口部が単純に反復する静かな外観です。内部も、黒ずんだ角柱と梁に、壁と襖の白で構成された質素な書院造りですが、唯一、仏間だけが、円柱を艶光りする黒漆で強調し、長押に赤と黒の渦巻き文様を施していました。祖先崇拝から離れた現世の信仰の場として、禅宗が許容する範囲での、最大の建築的表現が、渋さの中に華やかさを忍び込ませたこの空間に見えました。
そして、長勝寺で、もう一つ忘れてならないのが、蒼竜窟に安置された、三尊仏を祀る厨子。明治時代、神仏分離の際、岩木山神社に統合された百沢寺大堂から移されたもので、「華御堂」の名にふさわしく、繊細で華やかです。厨子式の霊屋を彷彿とさせる質の高い建築が長勝寺に辿り着いたのも、境内の数々の霊屋の縁でしょうか。
交通
弘前駅から西目屋、相馬方面行きバスで20分(1時間に1、2本)、茂林町長勝寺入口で下車、徒歩15分。
リンク
弘前市役所
弘前観光コンベンション協会
弘前総合情報RIng-O Web
宿泊施設のリスト
弘前市旅館ホテル組合
参考文献
「青森県の歴史散歩」(青森県高等学校地方紙研究会編、山川出版社、2007)
あおもりの文化財
文化遺産オンライン
Wikipedia
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