津軽半島へ:
津軽鉄道に乗って
(津軽半島、青森、日本)

モータリゼーションが進む社会で、特に、地方の小さな鉄道会社が生き残るのは至難の技です。

津軽鉄道は、起点の五所川原市でさえ、人口6万人、沿線にも、大きな町や有名な観光地、産業集積がある訳ではありません。営業距離も20.7キロ。ふつうなら、存続しているのが不思議なぐらいの背景です。それでも生き残った理由の一つが、津軽の風土の持つ観光資源としての潜在力を見抜いたことではないでしょうか。本来なら、快適でもないし、決して肯定的にはなれない冬の厳しい気候の価値です。

12月になると、全国ニュースで必ず、季節の風物詩として紹介される津軽鉄道のストーブ列車。そして、そのストーブ列車に乗りながら見る津軽名物の地吹雪が、その逆転の発想の賜物。ストーブ列車自体は、昭和5年(1930年)の開業当初からありましたが、地元には当たり前のことも、よそ者には、特別なことと気付いたときが、新たな始まりだったのです。日本にたくさんある小さな鉄道会社の中で、毎年ニュースで報道される会社が他にあるでしょうか。ゴールデンタイムのニュースの宣伝効果は、ばかになりません。

ニュースでは、いつも、ショールを巻いた地元の婦人が、ストーブに当たる風景が映し出される記憶がありますが、乗って見ると、実はちょっと違っていました。乗っているのは、観光客ばかりなのです。それもそのはず、沿線住民も利用していたストーブ列車でしたが、平成19年(2005年)より、運賃にストーブ列車料金が加算されることになって、住民は、ストーブ列車に併設され、運賃だけで乗車できる普通車両「走れ、メロス号」に移ったのです。そちらは、ふつうの暖房です。

とは言え、乗車した、芦野公園駅から津軽中里駅の間、普通列車の乗客は10人弱でしたが、ストーブ列車には、1車両に30人近くが乗っていますし、金木駅から五所川原駅の間は、団体客が、さらにたくさん乗り込むそうです。極端な閑散期のはずのこの時期に、これだけの人を集めるストーブ列車とは、地方の小さな鉄道会社にとって、宣伝効果だけでなく、収益の上でも、成功した事業なのです。

ストーブ列車は、12月1日から3月31日までの4ヵ月間、1日2往復で運行されます。現在のストーブ列車は、昭和23年(1948年)製造の国鉄の車両を譲り受けたもので、木製の床に壁という、今では見ることのほとんどない懐かしいインテリア。そこに、1両につき2個所のダルマストーブを据え付けたのは、津軽鉄道。

実際にストーブの前の席に座ってみると、かなり暑く、5分もすると、暑さに閉口して、席を移りました。最近、ストーブを体験する機会がなくて忘れていましたが、火は、ほんとうに強い。たまたま、今日は、明るい空を見上げて、乗務員が、地吹雪が吹いてくれなければ、困るなあとぼやくぐらいの、珍しく晴れた冬の日だから実感できませんが、すべてを消し去る地吹雪の中を走っていると、火がどんなにか心強いことでしょう。

はっぴ姿の乗務員は、車内販売に石炭くべにと、大忙し。売り物のするめを購入すると、その場で、ストーブであぶってくれます。ストーブの強さは、ここでも発揮されて、あっという間にいいあぶり加減。そして、車内販売のもう一つのお薦めが、石炭クッキー。さすがにブラックココアが材料だから地場産とは言えないものの、真っ黒の石炭に見立てたクッキーは、津軽鉄道の赤字を黒字にする願いも込めて、つくったのだとか。ちなみに、鉄道の機関車は、オイルによるディーゼル車で、石炭はストーブだけです。

列車は、終点の津軽中里で少し一休み。その間に、機関車を後ろから前に連結し直して、五所川原に向けた出発の支度を調えます。改札に並ぶ人は、津軽中里までの列車で一緒だった人々。皆、津軽中里に用があった訳ではなくて、このストーブ列車に用があったという訳です。

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交通
五所川原駅から津軽中里駅まで1時間に1本程度。ストーブ列車は、冬期間のみ1日2本。

リンク
津軽鉄道

五所川原市役所
五所川原観光情報局
中泊町役場

青森県観光情報サイト

宿泊施設のリスト
五所川原観光情報局 - 泊まる

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津軽鉄道とストーブ列車

        Photo by Daigo Ishii