津軽半島へ:
太宰治記念館「斜陽館」 - 1
(五所川原市、青森、日本)

重要文化財に指定された建築とは言え、太宰治の生家ですし、代表作にちなんで斜陽館と名付けられていることもあり、文学的価値で、水増しして指定されたのではないか、という懐疑心がありました。太宰治の小説は嫌いではないにしても、生き方にシンパシーを感じないので、強い吸引力はありませんでしたが、それでも、斜陽館を訪れたのは、この建築が、弘前に西洋風の近代建築をいくつもつくった堀江佐吉の手になるものと知ったからです。

太宰治が、「津軽」の中で「どこやら都会風に気取った町」と書いた金木の町は、冬の休日のせいもあるのか、寒さに凍りついて、静止画のようで、時折ぱらつく雪以外は、気配が消えていました。しかし、そんな日のそんな町なのに、驚いたことに、斜陽舘の駐車場にだけは、次々と大型バスが止まり、たくさんの観光客が下りて来ます。この一郭だけ、動画のようです。

斜陽館こと旧津島家住宅は、明治40年(1907年)に、太宰治の父で、後に貴族院議員も務めた津島源右衛門が、当時の金で4万円という巨費を投じて建設したものです。津島家は青森県有数の大地主で、田畑250町歩、小作人300戸を抱える一方で、銀行業も営み、屋敷の一部を店舗として利用しました。

通りに面した表構えは、赤いトタン屋根で葺いた入母屋づくり。入母屋ということで、タッパが高く見えますが、1階の建坪が278坪、延床面積が394坪ある大地主の家としては、通り側は、9間程度と、間口を抑えた造りです。町家が隙間なく並ぶ街並でもなく、建物の左右に庭をつくる余裕もありますし、昔は、裏手にある役場や、そのはるか向こうの「新座敷」と呼ばれた太宰治の兄夫婦の新居の残るあたりまで、200m近い奥行の敷地を有していたそうです。

ふつうなら、うなぎの寝床風の細長い間取りではなく、通りに沿って長い店構えをつくり、その奥に、大きな庭に面した住居部分を置いてもおかしくないから、ちょっと不思議です。

大体、1階で通りに開いているのが玄関だけで、残りは、1/3がこんなところに大階段室、それ以外は、銀行業務の部屋のようで、鉄柵を立て、窓には格子をはめています。外との接点の部分からして、これですから、外界に背を向けようという意志を感じます。

1階に高い煉瓦塀を回しているのも、役場、郵便局、警察に囲まれた立地も、小作争議に備えてのことだそうですが、だとすれば、間口の狭い構えも、閉じた造りも同様の理由かもしれません。農民の意識の変化という近代社会の動きが、建築にも映し出されているのです。

英語版へ移動する

Google Maps で場所を見る

交通
五所川原駅から津軽鉄道で25分(1時間に1本程度)、金木駅下車。徒歩5分。

リンク
斜陽館

五所川原市役所
五所川原観光情報局

青森県観光情報サイト

宿泊施設のリスト
五所川原観光情報局 - 泊まる

参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編、山川出版社、2007)
"図説青森県の歴史" (成田稔・長谷川成一、河出書房新社、1991)
"津軽" (太宰治、新潮文庫、1951)

Upload
2018.01 日本語版の文章、写真+英語版の写真

Update 

← previous  next →

Copyright (C) 2010 Future-scape Architects. All Rights Reserved.
無断転載は、ご遠慮いただくようにお願いいたします。

← previous  next →

斜陽館 (1907)

Photo by Daigo Ishii