津軽半島へ:
太宰治記念館「斜陽館」 - 2
(五所川原市、青森、日本)

室内の1階は、襖を取り外すと63畳の大広間になる和室4室が中心で、その奥に、小間を挟んで台所の板の間、さらに奥にある蔵に続きます。玄関脇の豪壮な階段室を上ると、2階になり、南側には、洋間の接客スペースが、北側と西側に、家族の居住部分である和室がLの字に配置されています。

豪雪地という気候のせいかもしれませんが、出たり入ったりの少ない、かなり単純化した間取りです。

構造材には県産のヒバを、階段にはケヤキを使い、一見すると昔風の三和土の土間は、実は、煉瓦を敷き並べた上に、当時としては高価なモルタルを均したそうです。2階の洋室の天井には、青森銀行記念館同様、金唐革紙が貼られ、洋室回りの廊下や階段室の漆喰のモールディングも見事です。洋室から中廊下で切り離された和室も、金襖や明治時代の日本画家、真野暁亭の水墨画による襖などで、華やかに彩られています。

そうやって、使うべきところには金を使う一方、源右衛門や、跡を継いだ太宰治の兄、文治が使った主人室は、非常に質素です。このあたりは、源右衛門の、経済人としてのバランスが反映されたのでしょうか。

こう見て行くと、地方の裕福な名家の近代住宅の好例に見えますが、よく観察すると、この手の屋敷の造りと違うところが、ここかしこに見受けられます。

先ずは、堀江佐吉の技術。その伝統的な納まりを超えた技が集結しているのが階段室です。木による和の空間と白い漆喰による洋の空間を結びつける納まりや、エッシャーの空間に迷い込んだような二股に分かれる階段の視覚効果など、棟梁でありながら、近代建築に通じた堀江佐吉だからこその独特な空間が織り込まれています。

そして、間取りのつくり方。

例えば、商家では、大抵、玄関を入ると、柱梁をあらわしにし、小屋裏まで吹き放しの接客場を兼ねた板の間か、さもなければ、天井の高い土間が続きますが、斜陽館では、板の間は、土間のいちばんどん詰まりにあり、そこに至る土間の天井高は、1階の天井と変わらない低いものです。

だから、玄関から土間に入ると、小作の運んで来た米俵を並べたという30坪もある広さなのに、何も置かれてなくても、狭々した印象で、なんだか、裏口から入ったような戸惑いを感じるのです。昔の家の造りにとらわれず、近代的な商売の観点から、機能優先でつくった空間でしょうか。

そして、2階。夏に窓や建具が開け放たれると、印象も違うかもしれませんが、和室の比重が大きい割に、開放性や連続性が低く、部分の独立性の高い洋風住宅の空気を持っています。個々の領域は壁で隔てられ、外周りの廊下に、2本の中廊下を加えて、つながって行きます。建築主だった源右衛門を映し出したものなのか、堀江佐吉の提案かは分かりませんが、家父長的な屋敷に見えながら、近代的な自我の萌芽も見え隠れし、20世紀初めの地方の社会の揺れが現れているようです。

どこか重苦しいところのある家でしたし、太宰治が、「津軽」で「風情もなにもない大きな家」と書いたのも分からなくありませんが、ただ、その重さも、太宰治の背景としての家も、単なる前近代的な家長の空気とは違う、前近代と近代の相克のようなアンビバレンツなものだったのかもしれません。

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交通
五所川原駅から津軽鉄道で25分(1時間に1本程度)、金木駅下車。徒歩10分。

リンク
斜陽館

五所川原市役所
五所川原観光情報局

青森県観光情報サイト

宿泊施設のリスト
五所川原観光情報局 - 泊まる

参考文献
「青森県の歴史散歩」(青森県高等学校地方史研究会編、山川出版社、2007)。
「図説青森県の歴史」(成田稔・長谷川成一、河出書房新社、1991)。
「津軽」(太宰治、新潮文庫、1951)。

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斜陽館 (1907)

        Photo by Daigo Ishii