青森の森を抜けて - 八甲田から十和田へ:蔦温泉
(十和田、青森、日本)
森の中の一軒宿、蔦温泉。春から秋までは、青森から酸ヶ湯温泉を経由して奥入瀬に向かうバスの通り道ですが、冬、積雪で通行止めとなると、十和田側からの道のみとなり、それも、この少し先で終わりとなります。奥入瀬の名を全国的に知らしめた歌人の大町桂月が、晩年に居住し、死去した地としても知られています。
湯治小屋は、文献では、平安時代まで遡りますが、旅館としての営業は明治30年(1897)から。大正7年(1918)に、正面玄関のある木造2階建の本館が建ち、戦後、本館の裏に長い階段でつながれた別館が、そして、向かって左手のコンクリート造の西館が加わりました。
見所は、やはり、東北の風土と結びついたような本館。
訪れた秋の終わり、もう、平入りの母屋の1階では、斜めに立て掛けた雪囲いの準備が進んでいました。中央の妻入りの玄関もまた、落雪に配慮した雪国の典型的形式。扉を開ければ、沓脱を、上り框の板の間が巡り、その向こうに、ガラス障子を嵌め込んだ大きな帳場があります。ふつうの旅館なら、玄関からそのまま受付の帳台に続きますが、間を隔てるこのガラス障子は、日本有数の豪雪地の、冬の厳しさ故。雪という東北の風土が、建築デザインに見え隠れします。
そして、室内の至るところに現れる銘木というか迷木、奇木趣味。客室の床柱や違い棚は言うに及ばず、トイレの小便器の仕切り板から、大便器ブースの柱、そして天井の竿縁まで。その多くが、豪雪の荷重で森の木々が変形することにより生まれたに違いない奇木。特に、その密度の高いトイレ(というよりも便所と呼ぶのがふさわしい空間)は、奇木が、木造軸組のモジュールに則って配置され、整然さと複雑さがせめぎ合いながら、不可思議な空間をつくっていました。
ちょっと思い出したのが、イタリア庭園のマニエリスムの洞窟で、グロテスクの語源となったグロッタ。人物や植物、地形の彫刻が奇々怪界に立体的に溶け合って、空間に変わりつつあるグロッタに対して、このトイレは、深く暗い東北の森に変容する手前で一時停止したような、未完進行形のグロテスクの趣でした。
温泉は、久安の湯と泉響の湯の2つ。古い久安の湯は、源泉の上に青森ひばの浴槽を設え、底板の隙間から湯が、玉のように湧き出て来ます。新しい湯に押し出された湯は、浴槽の回りの板床の上を走ります。まさに湯のランドスケープ。すぐ先もよく見えないほどもうもうと立つ湯気は、視覚を失わせ、素足を流れる温かい湯の感覚だけを際立たせます。いつしか、霧の森の中、湯の湧き出る川の流れに迷いこんでいました。
交通
青森駅からバスで90分。冬季は運休。
リンク
蔦温泉
宿泊施設のリスト
十和田観光協会 - 泊まる
参考文献
蔦温泉
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"郷土資料事典 青森県" (人文社, 1998)
蔦温泉ホームページ
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