青森の森を抜けて - 八甲田から十和田へ:奥入瀬渓流 - 1
(十和田、青森、日本)
初めて奥入瀬渓流を訪れたのは、学生の頃。いくら国の特別名勝と言っても、渓流は渓流、どれほどのものかと、高をくくっていました。
そんな不明を恥じたのは、流れのほとりに立った瞬間でした。そこには、渓流というよりは、日本庭園そのままのような風景が広がっていたのです。繊細で緻密で、数多の名僧や作庭師が全知全能を掛けてつくり出した名庭に勝るとも劣りません。
奥入瀬渓流は、十和田湖から流れる唯一の川。湖畔の子ノ口(ねのくち)から焼山まで、200メートルの高低差を、14キロ掛けて下って行きます。
水源の十和田湖は、4万3千年前から1万3千年前にいたる3回の十和田火山の噴火で生まれたカルデラに遡ります。周囲から流れ込んだ水がたまり、やがて、流れ落ちて、奥入瀬渓流となりました。ただし、流れがうがった奥入瀬渓流の滝や岩は、76万年前、八甲田火山から噴出した火砕流が溶結した凝灰岩によるものです。
長い時間を掛けて形成された奥入瀬渓流が、十和田湖とともに「発見」されたのは、明治41年(1908年)のこと。歌人の大町桂月が、雑誌の取材で訪れ、「住まば日ノ本 遊ばば十和田 歩けや奥入瀬 三里半」と詠み、広く知られるようになったそうです。
人口に膾炙してまだ100年余、巨匠による庭と奥入瀬には、直接の接点はなく、研ぎ澄まされた巨匠の想像力は、現実の自然の造形力の極限を予測したものであり、確かに、奥入瀬に実在していたのでした。
さて、他の自然の造形に比べて、奥入瀬を、日本庭園に近似させている(と個人的に思わせた)特別な理由があるのでしょうか。
実は、子ノ口からハイライトの終点「三乱の流れ」までは、十和田湖からの流れ以外、大きな支流がないため、大雨でも増水することがありません。水位が大きく変化しないから、川の中の岩にも苔や植物が生え、それが、他の渓流にはない、手を掛けた名庭のような気配となって行ったのです。
ただし、日本庭園の源流ともいうべき風景は、季節と大きく関わるようです。
初めて訪れたのは、5月初めでしたが、初夏の気配が漂う6月半ばに、久しぶりに訪れてみると、どこか微妙な違いがありました。一言で言えば、植物が伸び過ぎ、苔むした石では、雑草が目立ち掛けていたのです。
つまり、庭師がこまめに手を入れる名庭では、変化を抑え、最良に近い一定の状態が保たれるのに対して、庭師なしの庭、奥入瀬では、季節の移ろいが、そのまま、植物の上に投影され、風景がつねに動いているのです。
異なる季節が照らし出す奥入瀬は、時間の移ろいがダイレクトに映し出されて見える日本庭園が、実際には、慎重に、自然の移ろいを制御したものであることも、気付かせるのでした。
交通
八戸駅からバスで焼山まで1時間30分、十和田湖休屋まで2時間15分(冬季を除き1日3便)。青森駅からバスで焼山まで2時間30分、十和田湖休屋まで3時間15分(冬季を除き1日5便)。
リンク
奥入瀬渓流
宿泊施設のリスト
十和田観光協会 - 泊まる
参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"郷土資料事典 青森県" (人文社, 1998)
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