コギ族の集落
(シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ、コロンビア)

「あなたのスペイン語は下手だから、この先へ行く許可を与えられない。」スーパーイケメンで、ひときわ、身体の大きな副酋長が、白馬の上から言いました(原始的な社会では容姿や体躯が際立っていることが、特別なギフトとして、皆の上に立つ者にふさわしいのでしょう)。4日目の朝でした。前夜、話があると言われたので、希望を伝える文章を練りましたが、返す間もなく、走り去ってしまいました。理由は何でもよかったのです。

コロンビア北部、シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ山脈の北斜面、先住民コギ族の保護区の集落タビアカでのこと。麓から徒歩1日半、最後の開拓者の家からでも7時間、途中、数回1軒家を山向こうに望んだ他は、集落はなく、体力を奪うような山道を何度も上り下りして着いた最初の集落でした。清流に掛け渡された木の橋の先に、森を開墾して草地にした集落があり、竹を組んで土を塗り込め、藁の屋根を被せた円形の住居小屋が、アトランダムに密集しています。

山脈の反対側のアルワコ族の集落は、石垣が集落の中と外を切り分ける境界となり、内部には、長方形の間取りの家が、列を揃えて配置されていましたが、コギ族の集落は、集落のある草地とまわりの森の境界は曖昧でしたし、円形の間取りの家がルーズに配置されていました。同じ山中で、これだけの違いがあるのがおもしろいし、それが、種族の世界観の違いに見えました。

ここから、さらに、険しい山地に点々とあるはずの集落を辿り、最奥のコギ族の集落サン・ミゲル、または、サン・フランシスコまで行く計画でしたが、数日の行程の許可を、タビアカの管理者から得るため、すでに3日逗留していました。一度だけ、散歩で近くの集落サン・アントニオに足を伸ばしたものの、半ば幽閉状態。そして、この朝、門は閉じました。

1日目は、コギ族の男たちに連れられて、集落と森の境にある岩での祈りに立ち会いましたが、そういうコミュニケーションは、日を追うに従い消えました。近づいてくる大人も減り、大抵は交流の糸口となる子供たちも、無反応でした。見えない指示が村を覆っていました。退散を決め、小屋の外に、置き土産の折り紙を置きました。そして、暫く。ちぎれた折り紙が投げ込まれ、子供たちが走り去ります。彼らの答えでした。

「閉じること」は、かすかな悲鳴であり、意志であり、力でした。政府の小さな学校もあるし、あるかなしかの音量で、集落の住居からサルサも聞こえました。彼らの伝統的な焼畑農業とは別に、村の周りで栽培するコーヒー豆は、換金作物として、麓の文明社会に運ばれて行きます。そういう文明の浸透に対して、7時間の距離や、昔ながらの生活、頑なな態度が必要だったのです。訪れる少し前に、BBCも取材に入りましたが、山奥の村に行く許可は得られなかったそうです。

「この川から先がインディヘナの土地です。」コギ族の血を引く、案内人のリカルドが話しました。タビアカへ向かう往路でのことです。高い梢、下草に覆われた地表、深い森を一筋の小川が横切って行きます。清澄とした流れでした。その川の幅は、とても狭く、とても広かった。1991年のことでした。

そして、2008年。コロンビア政府が、子供の教育と接種のため、麓から、彼らとの接触ポイントの小学校までの、緊急用道路を開設しました。その先は、今まで通りの険しい山道ですが、Google Mapsで見ると、道路終点近くに位置し、僕が幽閉されていた集落は、忽然と消えていました。

(注)南米のスペイン語圏では、インディオは差別用語として使われず、先住民を意味するインディヘナIndigenaが使われています。

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Google Maps で場所を見る(サン・アントニオ集落)

交通
サンタマルタからミンゲオまでバスで2時間、ミンゲオから最初のコギ族の集落まで徒歩12時間、または、悪路走行可能な車で1時間+徒歩8時間。

コギ族のエリアは保護地域のため、入域には、サンタ・マルタの先住民管理局Inderenaから許可を取る必要があり。許可を取るためには、政府のライセンスを持ったガイドが同行することが必要だが、コギ族の血を引くガイドであれば、ライセンスを持っていなくても、許可される場合があります。コギ族のエリア内では、更に、コギ族の村の酋長など、幹部から、域内を通行する許可を受ける必要あり。

リンク

宿泊施設のリスト

参考文献
"Dumingueka es el nuevo pueblo de los Kogui" (El tiempo 2008/07/18)
"旅のチカラ"(石井大五,新建築住宅特集2006年1月号,新建築社)
Wikipedia

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コギ族の集落:滞在した集落タビアカの近隣の集落サン・アントニオを丘の上から望む。

コギ族の集落:滞在した集落タビアカ。集落の周りには草地が広がる。正面の白い柱は、集落に入る門。遠くの山の斜面では、焼畑農業の煙が上がる。

コギ族の集落:滞在した集落タビアカの風景。左手の白い柱は、集落に入る門。

コギ族の集落:滞在した集落タビアカの風景。

コギ族の集落:滞在した集落タビアカの風景。四角い寄棟の小屋は貯蔵庫で、滞在場所として提供された。奥の大きな円形の小屋は祭祀施設で、呪術的な祈りの声が時々漏れ聞こえた。

コギ族の集落:滞在した集落タビアカの風景。

コギ族の集落:(左)タビアカの民家。(右)集落の草地の終わり、叢に埋もれた岩。タビアカのコギ族が祈りを捧げる聖なる場所。タビアカに到着してすぐ、ここに連れられて行き、コギ族と一緒に、膝を付いて、ひれ伏してお祈りをした。

コギ族の集落:滞在した集落タビアカの朝の風景。

コギ族の集落:清流を渡る橋。タビアカへの入口であり、ここから少し歩くと村が現れた。

コギ族の集落:滞在した集落タビアカの近隣の集落サン・アントニオを丘の上から望む。

コギ族の集落:サン・アントニオの集落の様子。円形の建物は住居。四角い寄棟の建物は祭祀施設または貯蔵庫。タビアカに比べて、開放的な印象の集落。

        Photo by Daigo Ishii

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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